映画『クライマー パタゴニアの彼方へ』の公開を記念して、デビッド・ラマ来日

文=佐川史佳 写真=亀田正人

クライミング雑誌の編集をしていると、所詮は情熱の燃えカスを拾い集めているだけだと感じることがある。登っているその瞬間、瞬間こそが、クライマーが最も輝くときであり、困難にぶつかりそれを克服しようとする姿を、そのまま世に届けられたらと思わずにはいられない。

 

映画『クライマー パタゴニアの彼方へ』は、若きクライマー、デビッド・ラマがセロ・トーレという山に出会い、3年間にわたるトライの末、南東稜のフリー化を達成するまでを追ったドキュメンタリーだ。

パタゴニア名物の暴風雪の前ではエイドクライミングでの登頂ですらままならない。“岩への冒涜”とまで揶揄されたボルトラダーに頼り、コンプレッサーにしがみつく天才スポートクライマーの姿。撮影スタッフが打ち足したボルトに非難が集中し、ヒールに転落するヒーローの姿。荒い花崗岩の小さな凹凸を握りしめて、抜群の集中力で登っていく若きアルパインクライマーの姿。さまざまな困難と戦いクライマーとして、人間として成長していくデビッドの姿がしっかり収められている。

セロ・トーレの登攀史や、フリークライミングという文化に明るくないとわかりにくいシーンは多く存在するが、クライミングを知る者であれば雰囲気だけで身震いする場面の連続だ。

 

先月、デビッドが来日した際、インタビューを兼ねて瑞牆山でのクライミングに同行することができた。映画鑑賞はもとより、彼に関する記事を読み直して期待を膨らませていたが、スクリーンで観た“あの”デビッド・ラマは存在しなかった。旅とイベント続きで疲れた様子を見せ、車の後部座席でうなだれる彼。国内外のイベントで、何度同じことを語ってきたのだろう。私はいったい何人目のインタビュアーなのだろうか。そんなことを思いながら新宿の雑踏を抜け出し、車を山梨へと走らせた。

 

瑞牆では、骨休めついでに小ヤスリ岩の「蒼天攀路」(5.12b)をオンサイトした。セロ・トーレ南東稜の核心部“ボルトトラバース”は、「8a(5.13b)か、もう少し難しいくらい」とのことだから、Tシャツ1枚で登れるこの場所で12bを登るのに苦労するわけがない。セロ・トーレはデビッド・ラマがスポートクライマーからアルパインクライマーに転じた、まさに人生をかけたビッグチャレンジだったはず。ちょっと岩場で一緒になったからといって、真の姿が拝めるなんて――少し期待していたのが浅はかだった。

 

晴れわたった小ヤスリ岩の頂上では他愛もない会話をした。デビッドは普段どおりもの静かで、リラックスした様子だったが、カラコルムのマッシャブルム(7821m)の話を始めるとムードが一変した。同行したクライマーのひとり、南裏健康氏が同峰を登ったことがある、と言ったときだ。

今年、デビッドは北東壁からマッシャブルムに挑んだ。パートナーはセロ・トーレと同じくペーター・オルトナーと、ハンスイェルク・アウアー。しかし、落石やチリ雪崩が激しく、まともにトライできないまま終わっている。

「あそこは脆い花崗岩が堆積していて、すごく不安定な山だろう」という南裏氏は南面から登頂している。デビッドにとって貴重な出会いだったようで、「次のトライ登頂後は南側から下山しようと計画している」と話し、雪崩の危険性などについて詳しく訪ねていた。

 

 

 

その後もインタビューをすれば、薄れかけた記憶を辿るように誠実に答えてくれたのだが、その本心は表情に現われていた。マッシャブルムについて語る姿とはあまりにかけ離れている。「デビッドにとってセロ・トーレは過去のものでしかない」と悟ると、この件についてインタビューを重ねることが愚かにさえ思えてきた。

 

幸いセロ・トーレは映画に記録されている。プロフェッショナルとして紳士的な態度でインタビューに臨む姿とは180度異なる人間的なデビッドが映し出される。不甲斐ないパートナーにいらだち、あたったり愚痴ったりしているシーンなど最高だ。厳しい環境のなかで追い詰められれば、そこにヒーローなんて存在せず、むき出しの人間がいるものだと思う。それこそクライマーらしい……なんて書いてしまうと、歪んでいると思われるかもしれないが、私にはどうしてもそう思えてしまうのだ。

 

 

セロ・トーレとは

南米パタゴニアにある3102mの岩峰。1958年、イタリアのチェザーレ・マエストリは北壁から初登頂したと発表したが、登頂を証明するものが存在せず疑惑が残った。1971年にマエストリは再びパタゴニアにおもむき南東稜から登頂。このとき、ドリルの動力として130㎏を超えるガスコンプレッサーを使用し、岩に400本あまりのボルトを打ち込んだことが、ふたたび論争を呼び、マエストリは登山界の大悪党として歴史に名を刻むこととなった。

2009年、デビッド・ラマは撮影チームを率いてセロ・トーレのフリー化(フリークライミングで登頂すること)に初挑戦したが、極地でのクライミングの洗礼を受け失敗。このとき、打ち足した大量のボルトや固定ロープ等の残置が問題となり、デビッド・ラマは非難を浴びることとなる。

マエストリが使用したコンプレッサーが頂上直下に残され、「岩への冒涜」とまで言われたコンプレッサー・ルートは、その利便性と安全性から多くのクライマーに使用されていたが、このボルトに頼らず登頂しようという試みは一部の先鋭的なクライマーによって続けられていた。

ナチュラルなラインでの登攀は、2011年、カナダのジェイソン・クルックとヘイドン・ケネディが達成。彼らは下降中にヘッドウォールのすべてのボルトとその下のボルトも125本撤去したことで、コンプレッサー・ルートは消滅した。
 
それから数日後、南東稜のフリー化に向けて3年目の挑戦を行なったデビッド・ラマとペーター・オルトナーは、ボルトが撤去されたヘッドウォールをナチュラルプロテクションを駆使して登攀。フリー化が達成された。

 

■映画『クライマー パタゴニアの彼方へ』概要
公開: 8月30日(土)新宿ピカデリー他 全国ロードショー
監督: トーマス・ディルンホーファー
出演: デビッド・ラマ、ペーター・オルトナー、トーニ・ポーンホルツァー、ジム・ブリッドウェル
原題: Cerro Torre
字幕翻訳: 秋山ゆかり
字幕監修: 池田常道
提供: シンカ、ハピネット
配給: シンカ
特別協力: MAMMUT SPORTS GROUP JAPAN
     (C)2013 Red Bull Media House GmbH
     2013年/ドイツ=オーストリア/103分

 

佐川史佳
[Fumiyoshi Sagawa]
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2004年にフリークライミングジャパンツアー総合優勝。
2005年より山と溪谷社に入社し、『山と溪谷』、『ROCK&SNOW』『CLIMBING joy』の編集を手掛ける。2014年より独立し、フリーの編集、ライター、ジムのセッターとして業界内で活躍中。