最後の(?)リードジャパンカップ、愛媛で開催

文=山本和幸 写真=尾方保充

第31回リードジャパンカップが、秋に行なわれる愛媛国体のリハーサルとして、6月10日、11日の2日間で愛媛県西条市で開催された。

会場の石鎚クライミングパークSAIJOは、運動公園の中に、いわゆる〝国体仕様〟の15m規模で同形状のリード壁2面のほかに、屋内に大規模なボルダリング壁を備える。リード壁は現状はほぼ露天だが、秋の国体までには全体を覆う屋根が作られる計画とのことで、施設そのものは申し分ない。さらにはスピード壁の計画もあると聞く。これもオリンピック効果である。

その一方で今年のジャパンカップは、日本代表の選考大会から外れることになった。そのためか、最終的に男子57、女子29と昨年比で男女ともほぼ3分の2の参加選手数であった。

初日の予選は天候に恵まれすぎて気温が高く、選手にとってはコンディションが良いとは言えない状態だったが、男女とも7名が完登、男子は24位タイが7名で30名、女子は26名が準決勝に駒を進めた。

二日目は事前の予報では雨天。しかし未明に多少降ったのみで実施上問題になるものではなく、むしろ初日より気温が低いぶんコンディションは良い。男子は予選30名通過にセッターが警戒して厳しめに調整したのか完登はゼロ。決勝進出者の顔ぶれは順当で、愛媛の清水、徳永も地元の期待に応えて決勝に残った。女子は相変わらず若手が上位を独占。完登はいずれも中学生の森、平野。3位タイ通過の栗田もあわせ3名の中学生が決勝に残る。

決勝の女子は、やはり森が力の差を見せつけるように唯一の完登で優勝。男子は準決勝の混戦状態を引きずって完登がなく、最後の選手が終わるまで優勝が決まらない。準決勝を一位タイ通過の今泉が最後に登場。決勝進出者の中で最年少だが、最後ゆえのプレッシャーのためか思いがけず下部でフォール。同じく高校生の本間の優勝が決まった。

さて「31回」という数字でわかるように、ジャパンカップは今日まで続くクライミングコンペの中では最も古い由緒ある大会である。ヨーロッパの大会でさえ自然壁を使って行なわれていた1987年に、予選は瑞牆の不動沢、決勝は小川山の唐沢の滝周辺で行なわれたのが第1回。その後はオリンピック正式種目採用など考えられない時代に十分な予算措置もないまま、唯一の日本山岳協会主催大会として、ときにはJFAのジャパンツアーに間借りさえして細々と命脈をつなぐ。そして国民体育大会山岳競技のポストイベントとして、国体開催地でその翌年に開催ということになったのが1997年の広島大会からである。国体会場として整備されたクライミングウォールの後活用という名目から自治体の協力も得られ、恵まれた条件の中で開催することができるようになった。

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