『室井由美子氏トークショー』イベントレポート

文=筑後 昭久(ジャムセッション三鷹 店長)

2019年4月8日、東京・三鷹にあるボルダリングジム ジャムセッションにてクライマー室井由美子氏によるトークショーが開催された。当日は、都内外から数多くのクライマーが集まる中、日本有数のクライミングガイドで、数多くのクライミング書籍も手がけている菊地敏之氏に聞き手役を務めていただき、進行がおこなわれた。本記事ではトークショーで語られた内容の一部を紹介したい。


トークショー当日は都内外から数多くのクライマーが集まった

時を遡ること40年前の1979年、国内政治が揺れ動いていた時期に、ともに青春時代を過ごした吉川弘氏と室井由美子氏は、ほとんどの日本人にとって未知の世界であった米国、ヨセミテでのクライミングを体験する。この遠征の中で、エル・キャピタン The Noseをを登る為には、それに適したトレーニングが必要だと痛感し、同じようなクライミングができる場所として小川山を探し当てる。

そしてその小川山で、吉川氏と室井氏によって開拓されていったのが「小川山レイバック」や「クレイジージャム」、「枯れ木を落としたよ」など、現在私たちが目にしている有名ルートである。これらのルートを開拓・完登し、経験を積んだ吉川氏と室井氏は1981年に再びヨセミテを訪れ、念願であったThe Noseを完登する。


ヨセミテ訪問前の準備の様子

1981年ヨセミテ再訪時のスナップショット

ハーフドームを望む

開拓当初、まだ牧草地帯であった廻り目平に足繁く通った室井氏と吉川氏であるが、トークショー当日は、お二人が開拓されたルートについてのエピソードもたくさん話していただいた。

たとえば親指岩の「クレイジージャム」は、開拓前は表面が岩茸に覆われていて「たぶんクラックがあるよね?」というような状態から開拓を進めたとのこと。そのため、「掃除をしながら…」というレベルではなく、むしろ「岩茸をかきむしりながら」切り拓かれたのが、いま私たちが目にしているあの見事なクラックなのである。

「小川山レイバック」については、ルート名こそレイバックと付いているが、「レイバックじゃプロテクション取れないよね。だから名前、つけ間違えちゃったよ」とお茶目なコメントも。

ユニークな名前を持つルートの1つである「枯れ木を落としたよ」は、岩の途中に生えている枯れ木を見て「枯れ木があるということはクラックがあるな」と予想し、開拓をはじめ、枯れ木を落としたら実際にクラックが見つかったのが由来とのこと。ルート名の由来を開拓者本人から聞けたことも嬉しかったのと同時に、「枯れ木があるからクラックがあるだろう」という開拓者としての言葉が、トポを頼りに整備されているルートを登るクライマーとの違いを感じさせた。ちなみに、マラ岩と命名したのも室井由美子氏だそうだ。

これら数多くの名クラックを開拓された吉川氏と室井氏であるが、ナチュラルプロテクションにこだわって登っていたことでも知られている。そしてあるとき「なぜ、ラッペルボルトを打たないのか?」と聞かれた吉川氏の答えは、、、

「ドリルを持っていないから」

トークショーの当日は、ジャムセッションのセットでもお世話になっている草野俊達氏、ジャムセッションの常連でもある山岸尚将氏、外岩講習で講師をしていただく予定の増本亮氏なども参加いただき、岩への熱い想いをもったクライマーに囲まれた空間がうまれた。

その一方で、以前と比べクライマーの総数は増えているものの、その多くはジムだけで完結しているという状況に対して、ジムで登るクライマーたちに向けた室井氏からのメッセージとも取れる言葉もあった。

「自分の《能力》でその《リスク》を受け入れられるか?それを見極めるのがクライミング」

そういう部分こそがクライミングの面白さなのではないか? ジムでのテクニックやムーブを楽しむクライミングも悪くはないが、リスクを孕んだ岩でしか味わえないものがある。それを知らないままでいるのは、クライミングの持っている魅力や可能性のごく一部しか知らないということ。それは非常に勿体ない、ということだ。

トークショーに来たクライマーに向けては「こんな開拓の話なんか聞いてないで、登りに行けばいいんだよ」という一言も。

最後に今でも現役で登られている室井氏ならではの言葉を紹介したい。

「クライミングは懐が深い。幾つになっても、やりようで遊べる」

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