登頂写真でたどる登攀史④
【1994年 山野井泰史、チョ・オユー南西壁単独登攀】

大学山岳部出身で、8000峰の王道登山と先鋭的なヒマラヤ・アルパインクライミングを実践してきた天野和明さんが若かりし頃に出会った記録。

1994年 山野井泰史、チョ・オユー南西壁単独登攀

天野和明

僕の人生で大きく影響を受けた人がふたりいる。ひとりはこういう生き方がしたいと思い、山へ足を踏み入れるきっかけになった植村直己さん。そしてこの世界に足を踏み入れた僕の方向性に大きく影響を及ぼした山野井泰史さんだ。

部室にある本を読みあさっていた大学山岳部時代、山野井さんは僕にとって遠く憧れの人であった。部室の壁には「いつか山野井さんのようになる!」と書いた紙や、合宿中に富士山頂で一緒に撮ってもらった写真が今でも貼ってある。

山野井さんがチョ・オユー南西壁をソロで新ルートから登頂したのは1994年。僕はこのすばらしい登攀をリアルタイムでは知らない。しかし、この登攀の記録が掲載された記事をむさぼるように読み、のちに講演会に持っていきサインしてもらったことがある。

登攀自体の真の評価はその本人が下すものだ。そういう意味では山野井さん自身がどれだけ満足できたのかはわからない。しかし、世界に14座しかない8000m峰に、単独・アルパインスタイル・新ルートから登頂した例はわずかで、すばらしい成果にちがいない。山野井ルートがその後再登されていないことからも、その難易度は察することができる。

2006年春、僕もこのルートをめざした。時期が初登攀時と違いプレモンスーンだったこともあって、壁にはまったくといっていいほど雪も氷もなかった。ブンブン音を立てて落ちてくる落石に恐怖を感じ、取り付くことさえままならずに敗退した。

憧れはいまだ遠くにある。

あまの・かずあき
1977年山梨生まれ。明治大学山岳部出身。20代から8000m峰を舞台に数々の経験を重ね、2000年代後半は7000m前後のテクニカルな壁で世界が注目する登攀を行なう。カランカ北壁(ピオレドール受賞)やスパンティーク北西壁(第3登)など。現在は国際山岳ガイドとして活躍中。


ヨセミテからバフィン島、パタゴニアと、単独登攀でめざましい成功を積み重ねた山野井が、初めてヒマラヤで成し遂げたソロがチョ・オユーだ。同時期、妻の妙子と遠藤由加も同じ壁のスイスルートを第2登(女性初)。サングラスに映ったアイゼン、乾燥しきった唇……山野井の印象深い登頂写真は、25年夏刊行のヤマケイ文庫『アルピニズムと死』の表紙になっている。

【参考】国内・海外の著名な登攀

1921年 9月   槇有恒、アイガー東山稜初登攀
1930年 2月   加藤文太郎、厳冬期穂高連峰単独登攀
1932年 10月   アメリカ隊、中国ミニヤコンカ初登頂
1935年 1月   今西錦司ら、白頭山遠征
1936年 10月   立大・堀田弥一ら、ナンダコット登頂
1938年 7月   ヘックマイアーら、アイガー北壁初登攀
  8月   リカルド・カシンら、グランドジョラス北壁初登攀
1943年 1月   北大・今村昌耕ら、ペテガリ岳積雪期初登頂
1944年 10月   伊藤洋平ら、穂高屏風岩北壁登攀
1945年 8月   田口二郎、高木正孝、ヴェッターホルン北壁登攀
1950年 6月   フランス隊、アンナプルナ初登頂
1953年 5月   イギリス隊、エベレスト初登頂
  7月   ヘルマン・ブール、ナンガ・パルバットに単独初登頂
1954年 7月   イタリア隊、K2初登頂
1956年 5月   日本山岳会隊、マナスル初登頂
1958年 1月   奥山章ら、北岳バットレス中央稜積雪期初登攀
1959年 8月   南博人ら、谷川岳一ノ倉沢衝立岩正面壁登攀
1960年 5月   中国隊、エベレスト北面から登頂
1961年 3月   ヒーベラーら、アイガー北壁冬季初登攀
1963年 5月   アメリカ隊、エベレスト西稜~南東稜縦走
1965年 8月   マッターホルン北壁、アイガー北壁、日本人初登攀
1969年 8月   加藤滝男ら、アイガー北壁直登ルート登攀
1970年 5月   ボニントン隊、アンナプルナ南壁初登攀
      日本山岳会隊、エベレスト登頂
1974年 5月   中世古直子ら、マナスル女性初登頂
1975年 5月   田部井淳子、エベレスト女性初登頂
  8月   メスナーとハーベラー、ガッシャブルム1峰アルパインスタイル
  9月   ボニントン隊、エベレスト南西壁初登攀
1976年 5月   山学同志会、ジャヌー北壁初登攀
      日印合同隊、ナンダデヴィ初縦走
1977年 8月   日本山岳協会隊、K2第2登
1978年 5月   メスナーとハーベラー、エベレスト無酸素登頂
  8月   メスナー、ナンガ・パルバット単独登頂
1979年 3月   長谷川恒男、冬季三大北壁単独登攀を達成
1980年 2月   ポーランド隊、エベレスト冬季初登頂
  5月   戸田直樹ら、谷川岳一ノ倉沢コップ状岩壁フリー化
      山学同志会隊、カンチェンジュンガ無酸素登頂
1983年 10月   山学同志会隊、イエティ同人両隊、エベレスト無酸素登頂
1984年 2月   植村直己、マッキンリー冬季単独登頂後、消息を絶つ
  10月   小川山、城ヶ崎などに5.12ルート誕生
1986年 10月   メスナー、8000m峰14座完登
1987年 8月   ミック・ファウラーら、スパンティーク北西壁ゴールデンピラー初登攀
1988年 6月   山野井泰史、トール西壁を単独初登攀
1991年 4月   シュトレムフェリとプレゼリら、カンチェンジュンガ南峰南ピラー登攀☆
1992年 10月   日本山岳会隊、ナムチャバルワ初登頂  
1994年 9月   山野井泰史、チョ・オユー南西壁単独登攀
1996年 7月   山崎彰人と松岡清司、ウルタルサール初登頂
1998年 5月   山野井泰史、クスム・カングル東壁単独初登攀
2001年 7月   クリス・シャーマ、世界初の5.15aルート初登
2002年 4月   ミック・ファウラーら、四姑娘山北壁初登攀☆
  9月   平山ユージ、エルキャプ「サラテ」をオンサイトトライ
  11月   中川博之と伊藤仰二、クワンデ北壁新ルート
2004年 5月   ロシア隊、ジャヌー北壁を直登☆
2005年 9月   スティーブ・ハウスら、ナンガ・パルバット南壁アルパインスタイル☆
2008年 9月   一村文隆、佐藤裕介、天野和明、カランカ北壁登攀☆
  10月   平出和也と谷口けい、カメット南東壁登攀☆
2009年 8月   フーバー兄弟、トランゴタワー「エターナルフレーム」をフリー化
  11月   岡田康と馬目弘仁、テンカンポチェ北東壁初登攀
2010年 5月   岡田康と横山勝丘、ローガン南東壁初登攀☆
2011年 10月   コンラッド・アンカーら、メルー・シャークスフィン初登攀
2012年 1月   デイビッド・ラマら、セロトーレ南東稜をフリー登攀
  5月   竹内洋岳、日本人として初の8000m峰14座完登
  11月   馬目弘仁と花谷泰広、青木達哉、キャシャール南ピラー初登攀☆
2013年 10月   ウーリー・ステック、アンナプルナ南壁をソロ登攀☆
2014年 2月   トミー・コールドウェルとアレックス・オノルド、フィッツロイ全山初縦走☆
2016年 2-3月   佐藤裕介と伊藤仰二、宮城公博、剱沢大滝左壁ゴールデンピラー初登攀
  9月   大西良治、ソロで称名川ゴルジュ完全遡行
2017年 8月   平出和也と中島健郎、シスパーレ北東壁初登攀☆
2020年 7月   平出和也と中島健郎、ラカポシ南壁初登攀☆
2021年 1月   ネパールシェルパら、冬季K2初登頂
  2月   ショーン・ビジャヌエヴァ・オドリスコル、ソロでフィッツロイ逆縦走☆
2023年 7月   平出和也と中島健郎、ティリチミール北壁初登攀☆
  10月   アメリカ人トリオ、ジャヌー北壁をアルパインスタイル初登攀☆

*☆マークは翌年、ピオレドールを受賞した登攀。

*『山と溪谷』2010年4月号の記事をもとに再構成しています。

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