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スコットランド在住の日本人クライマーにフォーカスした『Masa 居場所 The Place where I am』公開中
トラッドクライミングの本場スコットランド。かの地で暮らす一人の日本人クライマーを静かに追ったショートフィルムがYouTubeで公開されている。
ウィンタークライミングの魅力に導かれてスコットランドに居を構え、その正統的な伝統を受け継ぐ実践者、Masaこと坂野正明さん。わずか18分ほどの映像に、創造的かつ冒険的な冬季登攀のエッセンスが凝縮されている。絆の強いスコットランドのクライミングコミュニティに根を張る一方で、自身のルーツである四国ののどかな風景が時折差し挟まれ、その対比が心に残る秀作。
映像の中の、謙虚で実直な人物についてもっと知りたくなった。『ROCK&SNOW』で英国のトラッドクライミングについての寄稿や翻訳記事をいただいたことはあるが、クライマーとしての素顔は未知である。
そこで、かつて夏のトラッドクライミングを共にした片野直子さんにMasaさんとの思い出を綴ってもらった。
静かに尊敬される存在
文=片野直子(登山ガイド)
Masaさんとの出会いは、私がイギリスに社会人留学をしていた2016年。友人だった故倉上慶大さんに、イギリス在住の日本人クライマーがいるとのことで紹介してもらいました(本当はこの文章もクライミングに深い知見を持った倉上さんが書くのが適任だったでしょう!)。
大学の夏休みにスコットランド・ハイランド地方の小さな町へクライミングギアを持参してMasaさんを訪ねました。フィルムの中では、自宅とおぼしきアパートふうの建物が出てきますが、当時のMasaさんの家はギアと各種文献の山積する山岳部の部室という風情でした(泊めてもらったのにごめんなさい)。夏でも朝晩うすら寒く、暖房が欲しくなるようなハイランドの気候の中で、冬期クライミングの寒さに耐えるトレーニングとして、シャワーは水しか使わない生活をしているのが、Masaさんその人でした。
その部屋でMasaさんが私の到着早々に作ってくれたのは、イギリスの伝統的なお菓子、キャロットケーキでした。人気パティシエのレシピを忠実に再現したケーキは、クルミとレーズンをたっぷり使い、マスカルポーネのクリームで仕上げられ、とても大きく、美味でした。
そしてこのケーキをギアと共に車に積み込み、数日間のクライミングトリップに出たのです。私は道々、ケーキを食べながら、おとぎ話のようなハイランド地方の景色に魅せられ、キャロットケーキのファンになりました。今もカフェで見ると注文せずにいられませんが、Masaさんのキャロットケーキを上回るものにはまだ出会っていません。
トリップの目的地はスコットランドの中でも北に位置するスカイ島。そこで岬の海岸を100m懸垂下降して、水しぶきのかかる波打ち際からスタートするルートを登りました。ボルトが打たれた日本の岩場でのクライミングに慣れた私にとって、その一日は大冒険でした。今考えると、私のような技術的にも精神的にも未熟な人間とよくロープをつないでくれたものだと思います。
作品には、Masaさんが生まれた場所である日本で家族と過ごす風景、そしてクライミングに目覚めた場所である、スコットランドでの暮らしが描かれています。登場人物は家族と数人の友人たち。彼らが語る言葉からは、Masaさんの生活があくまでクライミング中心であり、それこそが彼の帰属する居場所であることを感じます。
Masaさんが映画の主人公に選ばれたのは、単にスコットランドで珍しい日本人クライマーだからではなく、スコットランドのクライミングコミュニティの中で「静かに尊敬される存在(※1)」となっているからでしょう。プロクライマーのデイブ・マックラウド氏は、Masaさんを「新ルートの開拓に誘うとき、不確定要素だらけで辛いことが多いとわかっているのに必ず乗ってくる、信頼のおける数少ない人間の一人」と表します。
時にクレイジーと言われるくらいのクライミングへの真摯さと、屈託ない笑顔、とびきりのケーキだって作る友人への優しさ。それはもうパートナーとして誘いたくなりますよね。一緒に登ったら、きっとその日はハッピーになるから。
今もMasaさんはスコットランドのやっかいなコンディションの中で、新しいルートのアイディアがあるようです。そんな彼のことを知りたい方は、本作を観るとともに、ウェブサイト『SaferClimbing.org』を読んでみてください。
※1 本作を制作したEllis Brighamによるインタビューより
https://www.ellis-brigham.com/articles/interview-with-masa-sakano
