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アルパインクライミングの来し方行く末


次々と新たな岩場が開拓され、グレードも伸びていくフリークライミングは、人工壁の普及やコンペの発展と相まってクライマー人口も急速に増加。隆盛の一途をたどってきた。その一方、山を舞台としたアルパインクライミングは、少なくともわが国の場合、久しく「衰退」の二文字で語られることが多かった。 しかし、中高年の百名山ハイキングではなし、こちらは多くの登山者がこぞって殺到するような行為では、もとよりなかったのだ。

特定少数のクライマーたちが冒険を求めて、脈々と受け継いできたものにほかならない。時代によって盛衰はあったとしても、アルピニズムという言葉がこの世から消え去ることはない。 創刊以来50号を数えた『ROCK&SNOW』の誌上に、それは記録されている。 この12年間、ではどんな登攀が行なわれてきたのだろうか。年代順に振り返ってその足跡をたしかめてみたい。 

文=池田常道 写真=山野井泰史、内田良平、天野和明、ほか 

*この記事は『ROCK&SNOW 2010年12月号』掲載記事をもとにしています。

 

1990-2000

Best Climbs
「20世紀最後の10年間、日本のクライミングが到達した地平」

『ROCKk&SNOW』がリニューアルした012号(2001年7月)では、それまでの10年間を振り返る標記の特集を巻頭に組んだ。グレートトランゴ(1990年)からハンターのムーンフラワーバットレス(00年)まで、日本人クライマーの成し遂げた国内外の主な登攀を採録したものだ。

95年3月の『岩と雪』休刊で生じた情報の空白、特にアルパインクライミングの分野におけるそれを補おうという意図があった。実際、その数年間には、山崎彰人=松岡清司ペアのウルタル・サール(7388m)初登頂や戸高雅史によるK2(8611m)南東稜単独・無酸素登頂があり、大人数の遠征登山でも、千葉工大隊のナンガ・パルバット(8126m)北西壁新ルートや日本山岳会隊によるマカルー(8463m)東稜から北西稜といった、重要な登攀が行なわれていたのだ。

国内でも発展著しいクラッグのフリークライミングのほかに、鈴木謙造による谷川岳・一ノ倉沢や幽ノ沢を舞台とした冬季ソロ、草野俊達による穂高・屏風岩オンサイト・フリーソロがあった。

また030号(05年12月)には、スティーブン・ヴェナブルズの「ヒマラヤ・アルパインスタイルの現在」が載っている。『Alpinist』誌に掲載されたHimalaya Alpine-Style:10 Years Onを翻訳したもので、95年に出版された同名書(アンディ・ファンショウとの共著。邦訳は96年刊)で彼が描いてみせたヒマラヤクライミングのその後10年を補遺した論考だ。そのなかで指摘されているのは、アルパインクライミングの目覚ましい進展と高峰登山の著しい衰退である。

90年以降の登攀シーンを顧みて顕著なことは、80年代までの登攀が、特にヒマラヤ遠征においては、70年代からの流れを引きずる伝統が革新と混在していたのに対して、90年代以降は明らかに伝統勢力が少数派になってきた。現在、多数の高所ポーターと何千メートルもの固定ロープ、さらには酸素ボンベを使うのは、エベレストをはじめとする高峰に集中する、いわゆる公募登山隊だけだ。そこでは、戦前の探検登山時代から続く包囲法登山が、より効率的にリニューアルされた形で採用されている。

アルパインクライミングの分野では、予期に反して再登が目立つという指摘もおもしろい。ヴェナブルズらの意図は当時の到達点を例示することによって、クライマーたちにそれを土台とした新たな活動を期待するところにあったのだが、実際には掲載された登攀が一種の目標として受け取られ、思わぬ人気ルートになってしまった事実が語られている。

トランゴ・ネームレスタワーのイターナルフレーム(89年)やシヴリン東稜(81年)、スパンティークのゴールデンピラー(87年)といった、決して「一般的」とは思えないルートがこの間に一度ならず挑戦され、そのうちいくつかは再登を果たした事実は、著者たちの予想を裏切るものだった、とヴェナブルズは書く。

だが、イターナルフレームは掲載時、まだ4ピッチのエイド部分を残していて、それらがフリー化されるかどうかが関心事だったし、カプセルスタイルで登られたシヴリンには、純粋なアルパインスタイルで登るという課題があった。また、ゴールデンピラーには、初登者よりも短い日数で完登するというテーマがあった。

このうちイターナルフレームは幾多の挑戦を経たのち昨年、つまり初登攀から20年を経て、ようやくフリー化された。初登時13日間を要したシヴリン東稜は96年にわずか5日間で登られた。ゴールデンピラーも00年に行なわれた第2登で日数が短縮されたほか、別の、より困難なルートがカプセルスタイルで拓かれている。

すでに登られたルートを再登することがテーマになったといえば、戦前に登られたアルプス三大北壁が戦後になっても長らく目標となって存続し得た事実を想起する。初登攀者たちのそれよりいい形で登ろうという意識を抱くことが、既成ルートに挑む価値を生むのだといえようか。

(右)完全リニューアルした『ROCK&SNOW』12号の第一特集は「20世紀クライミングの到達点」 (左)ロゴも誌面も刷新した012号

1998

クスム・カングル東壁
山野井泰史の単独初登攀

(左)山野井自身が「会心の登攀」のひとつに挙げるクスム・カングル東壁。ベースキャンプにて
(中央)クスム・カングル東壁を登りきった夜の頂上にて
(右) 雪崩に巻き込まれ、九死に一生を得たマナスル北西壁

エル・キャピタン、ドリュ、マウント・トール、フィッツロイ、アマ・ダブラム……1980年代からアルパインクライミングのソロで活動してきた山野井泰史にとって、クスム・カングル(6367m)東壁は会心の登攀のひとつだった。標高差1200m(80度、5.9)のラインを22時間で登ったことを山野井は「技術的に最も満足した」と語っている。おりしも、94年にチョ・オユー(8201m)南西壁の単独初に成功してから2年後のマカルー西壁で文字どおり壁にぶち当たった感があっただけに、それを越えて前進するために、何が欠けていたのか、何が必要なのか、模索し続けていたときだったからだ。

翌年のガウリシャンカール(7134m)北東稜と合わせて2年間、敗退が続いていたこともあって、成功の味に飢えていたともいえるだろう。それよりも大きかったのは、技術的な難しさが持続するルートをフリーソロできたという事実だった。標高は低くともチョ・オユーよりは格段に困難なルートを完登したことは、マカルー西壁への再挑戦を含む将来へ向けてひとつのステップを刻んだともいえるが、このときはまだ確信を得るには至らなかった。

次に来るべきものは、再び8000mの世界で登ることだった。クスム・カングルから数カ月後の秋、山野井は妻・妙子とマナスル(8163m)北西壁に向かった。主峰と北峰を結ぶ稜線のこちら側は広大な氷雪壁となっていて、基部までの氷河には険悪なセラックが充満し、頻繁に崩壊している。もちろん未踏だが、危険の度合いはいつになく高いルートだった。そのことを予感しないではなかったが、未踏の誘惑が勝った。5500mに置いたキャンプを前夜遅く出て夜間登攀していたさなか、4時間たった午前1時ごろ、6100m付近で突然の雪崩を受けて流され、泰史は全身を埋められてしまう。幸い、たった15分前に「いやな感じがする」といって結び合ったロープが命を救った。埋没を免れた妙子がロープをたどって泰史の居場所を見つけ、奇跡的に失わなかったピッケルで、最後は素手で泰史を掘り出したのだ。「妙子が僕を掘り出せたのは奇跡に近かった」とは泰史のいつわらざる述懐だった。

次の巨峰は2000年のK2になった。ポーランドのヴォイチェフ・クルティカが来日したときに雑誌の対談で意気投合し、99年秋にネパールのP43(6779m)をともに狙って果たせなかった帰途、来年も一緒にやろうと決まったのだ。クルティカにとってK2は、何度となく西壁から試みて果たせなかった課題だった。しかし、今回狙った東壁は、何本もあるリブの上部がすべて肩の雪田から張り出した険悪なセラックに脅かされていて、それまで数例の挑戦しか行なわれていなかった。取付そのものも氷河の奥まった一角にあって、南面の諸ルートに比べれば小人数パーティには荷の重い対象だ。

結局、思わしくない天候も手伝って、ふたりともさすがに無理だと判断せざるを得ない羽目に陥った。モチベーションを失くしたクルティカは下山を決めたが、山野井は、南東稜を目指していた妙子ら仲間の元にとどまって、もう一度の機会をうかがった。南南東リブからの単独登頂だ。そして7月30日、BCを出てから48時間のアルパインスタイルで、この世界第二の頂に立った。目的とした新ルート(東壁)からではなかったにしても、その時点で十分に満足できる成果ではあった。

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