イェルネイ・クルーデル、ヨーシングフィヨルドで
9aトラッドルート、Crown Royaleを第2登

planetmountain.com 
文=イェルネイ・クルーデル 
訳=羽鎌田学

かつてはコンペティターとして、ボルダー・ワールドカップ等で名を馳せたスロベニア人クライマー、イェルネイ・クルーデルが、ノルウェーのヨーシングフィヨルドにある、ノルウェー語でプロフィールヴェッゲン‐プロファイルの壁‐と呼ばれる岩場で、2023年9月にピート・ウィタカーが初登し、9a(5.14d)とグレーディングしたトラッドルート、Crown Royaleの第2登に成功した。

以下は、現在34歳のイェルネイによる、世界最難トラッド・クラックの一本と称される全長100mにも及ぶオーバーハングしたルートの再登についてのレポートである。

私は近年、クラッククライミングのスキルを着実に向上させ、昨年の1月にはイタリア北部のオルコ渓谷で有名なクラックラインのGreenspit(E9/8b/5.13d)を再登し、その後、ヨーロッパで新たな目標となるルートを探し始めた。Greenspitは、トライ開始と同時に直ぐにでも登れそうに感じ、また実際、比較的特に苦労することもなく完登できたので、よりチャレンジングなルートが必要だった。そんな時、多くのクライマー仲間からヨーシングフィヨルド(ノルウェー)に行くことを勧められた。ピート・ウィタカーにも相談したところ、彼がヨーシングフィヨルドで2023年に初登したCrown Royaleは、ジャミングはそれほどテクニカルではなく、核心は短く、むしろフェイスクライミングよりのルートだと言われ、これはいいかもしれないと考えてしまった。

それでも初めは、自分がCrown Royaleを完登するイメージは全く頭の中になかった。ただ、実際にトライしてみて、登れなかったとしても、いつかまた訪れる価値があるルートかどうかを確認したかった。そこで、天候的には5月がベストシーズンらしいので、その時期にヨーシングフィヨルドのあるルーガラン県の県都スタヴァンゲルへ向けて、2週間の予定で飛び立った。

彼らの言う通りだった!天候にとても敏感な私は、ノルウェーの天候には圧倒された。この場合、良い意味でだが。幸い2週間近くのクライミングの間中、雨はほとんど降らなかったと言える。気温はかなり高かったものの、トライの間中、常に海からの風が吹き続け、風が吹かなかったのはたったの2日だった。

5月13日、同胞の友人フィリップとプロファイル・ウォール到着。一目見るなり、2人ともその壁に圧倒されてしまった。60m以上にわたってオーバーハングした壁で、そこを抜け出た最上部はスラブチックだった。何本かのクラックが走るだけの一見何もないような巨大な壁だった。無駄にできる時間はなかった。早速、7bと7cのルートへのオンサイトトライで、スカンジナビア・クライミングツアーの幕を切った。

そして本題のCrown Royaleへ。先ずは同ルートの最初のパートとなっているLille Krone(8b+)にトライ。その日偶然Lille Kroneにトライしていたベルギー人クライマー、クラース・ウィレムスの助けも借りて、ムーブを素早く確認。それぞれのムーブを難なくこなせることはわかった。ただ、両手にグローブをはめたままではフィストジャムを効かせられないのが唯一の問題だった。そこで、その最初のパートは、左手だけにグローブをはめて、右手にはテープを巻いて登ることにした。

翌日は2回、差し当たっての目標とした最初のパートにトライしたが、共に失敗。最初の核心でのちょっとしたランナウトが一因だった。しかし、一度そこでフォールした後、実は大したランナウトではないと気づき、もう一度完登モードに切り替えてトライ続行。そして一日レスト。このレストが間違いなく効果的だった。レスト翌日の計4回目のトライでトップアウトできたのだ。もちろんトップアウトと言っても、壁全体のそれではなく、地上30m地点にある、ノーハンドでレストできるポイント、Lille Kroneの終了点まで登れたのだ。

次の課題は、ルート上部。オーバーハングした壁の抜け口まで、残るは80ムーブ。ただ、かなり手応えはよかった。もちろん簡単ではなかったが、間違いなくクリアーできる気はしていた。一番大変だったのは、良いレストポイントを見つけることだった。続く4日間は、毎日同じルーティンの繰り返し。最初のパートであるLille Kroneを登り(核心ではギアを掴んでハードな5ムーブを飛ばすことも多かった)、続いて上のパートにトライする日々。上半分を登り出す前に一度テンションをかけてレストしてからだが、またギアをセットしておいた状態ではあったが、上部をほぼ登り切ることができる日もあった。そんなこともあり、トライを重ねるうちに、いつか本当に完登できるのではという自信が湧いてきた。

本当の意味での完登トライに乗り出す前に、一連の流れを整理する必要があった。例えば、ギアをどこにセットするか、またどれをスキップできるか、トライ失敗後にどのようにギアを回収するかといったことをしっかり考えておかなければならなかった。下部では、特に危険なフォールを回避するためにギアを多めの10個セットし、それに対して上部では、ギアを6個(バックアップ用にもう1個)に減らした。上部は傾斜が強く、フォールしても壁に叩きつけられることもなさそうで、またそれぞれのギアもしっかり効くので、それくらいの数で大丈夫だった。これにより、登りそのものに集中でき、最上部でのロープドラッグも軽減できた。

そして遂にスカンジナビア・クライミングツアー、最後の3日間がやって来た。帰国日が迫っている。残すは、正真正銘の完登トライに専心するのみ。そして最終日となった日の前日、またもや最初のパート、Lille Kroneの核心に立ち向かおうとしていた。その日の1回目のトライでは、再びそこでフォール。2回目のトライの際には、風が止み、猛烈に暑くなってきた。

それでも、遂に最初の核心を突破。次は上部だ。Lille Kroneの終了点脇でしっかりレスト。そのレストポイントのすぐ上には、次の核心が控えていた。スポートルートの核心にありそうな小さなホールドを使ったクライミングが続き、コンディションが悪くて、あまり到達高度を上げることができなかった。トライごとに体力を削り取られるルートだが、時間を無駄にはできない。3回目のトライでは死力を尽くし、なんとか2度のフォールでトップアウト。幸せな一日を終えることができた。

そして最終日の5月24日、ひどい筋肉痛で目を覚ますと、小雨が降っていた。しかし正午にはその雨も止み、心地よい風が吹き始めた。と同時に、もう一度トライする気が沸々と湧いてきた。雲がかかっていたおかげで、いつもより早い時刻にクライミングを始めることができた。その日は、ウォーミングアップがきつかった。でも、オリンピック選手並みの決意と言ったら大袈裟だが、やる気満々ではあった。

準備にはいつものように時間がかかった。指と右手にテープを巻き、左足にはニーパッドを着け、左手にはグローブをはめ、右手のグローブはハーネスのギアラックにぶら下げ、ギアを整理し、ロープを結び、クライミングシューズを履き…、そしてスタートだ。

ハンドジャムはまあまあの効きだった。核心での最初のジャムもうまく効かせることができた。核心のパートはハードなムーブが続き、もう一手で効きの良いジャムというところで心と体が諦めかけたが、なんとか耐えてフォールせずに無事通過。しかし、それに続く簡単なハンドジャムのパートでさえ、いつもよりきつかった。

遂に凹角内のレストポイントに辿り着く。足はステミングし、右手のテープを外し、代わりにグローブをはめる。既にボロボロだったが、できるだけ回復できるようにとレストに充分な時間をかける。上部の最初の核心は驚くほどスムーズに通過できた。前回の最高地点に到達し、ハンドジャムでより良いレストポジションを見つけた。その後もランアウトは大きかったが、ジャムに集中し続ける。ジャムはうまく効いているようだった。

その後、バットハングで体を逆さまにしてレストできるポイントに到達し、前腕をできるだけフレッシュにするためにそれを2回繰り返す。その後は登り続ければ続けるほど、集中力が高まっていく。残りの核心もスムーズに通過。『これが本当に最後になるかもしれない』と、確信し始めた。それでも焦らずに、今この瞬間にだけ集中し続ける。呼吸を整え、次のムーブをイメージすることで、集中力を維持できた。

最後のプロテクションをセットするポイントが来たが、そこはパスすることにした。集中力が高まり、強傾斜帯を抜け出た後のロープドラッグも少なくできるからだ。そして最上部の緩傾斜帯に入る。ロープがあまりにも重くなってきたので、それを解き、壁のトップまでフリーソロで登り続ける。喉がカラカラで、水を飲みたくてどうしようもなかった。でも心は、喜びと驚き、そして何よりも、最後まで諦めなかった自分を誇りに思う気持ちでいっぱいだった。

ルート上のギアをすべて回収し、荷をまとめて車までのアプローチを歩き始めた途端、雨が降り始めた。そして、私がノルウェーを後にしてから3日の間、その雨が降り止むことはなかった。

※岩場のある場所Jøssingfjordは、カタカナで「ヨッシングフィヨルド」、または「イェッシングフィヨルド」とも表記される。

同一カテゴリの最新ニュース