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ヨセミテ黄金時代のメインマン、ジム・ブリッドウェル逝く

2018年2月23日

文=菊地敏之

Jim”The Bird” Bridwell died in Palm Springs, California, today.

2月16日、このニュースに、アメリカ中のクライマーがどれだけ驚き、悲しみ、またこの稀代のクライマーが “The Bird” と称されることの偉大さを、改めて噛みしめ直したことだろう。享年73。死因は腎不全とC型肝炎と伝えられている。


1990年、ソルトレイク・トレードショウにて 
Photo_Pat Ament

「ブリッドウェルが来ているよ」。ヨセミテビレッジのバス停で鈴木英貴氏が声をかけてきたのは86年の初夏のこと。なんでも氏は、来たる7月4日の建国記念日にここで講演会をするらしい。それを聞いて、なんていかにもアメリカな、まさにこの国のこうした記念日にふさわしい話なのか、またそれを企画するアメリカ人の、なんてアメリカ的なことなのかとつくづく感心してしまった。おそらくそこに、ニール・ヤングあたりが歌を添えても、たぶん何も違和感はなかったろう。

ジム・ブリッドウェルは、まさにアメリカを象徴するクライマーといえる。氏にはよく「The Legendary Yosemite Climber」という文言が冠されるが(訃報記事にもそう記されている)、それはしかし、いささか過小的に勘違いし得るもののような気がする。伝説的なヨセミテクライマーというより、正確には、ヨセミテ出身の伝説的なクライマーと言うべきだ。

実際、今日のすべての高難度クライミングは、一度ブリッドウェルという器に収斂され、そこから改めて発展していっていると言っても過言ではない、気がする。そしてそこに、“アメリカ”という下地が大きく絡んでいることも、70年代以後の世界のクライミングの推移を見ていけば多いに納得できる筈だ。

ブリッドウェルの名を世界が初めて目にしたのは、74年1月、イギリスの『マウンテン』掲載の「ヨセミテの新しい波」(邦訳は『岩と雪』39号)でだと思われる。これは70年代初期のヨセミテでの、新スポーツ=フリークライミングの、極めて先駆的にして驚異的な発展の模様を捉えたもので、これらは後年J・バーカーやR・コークら「ストーンマスターズ」の名とともに世界に圧倒的な影響力を与えることになる。わけだが、しかし74年のこの時点でここに挙げられた記録のほとんどは、実はブリッドウェル本人によって成されたものだった。

そして70年代後半~80年代前半にかけてはビッグウォールのエキスパートとしてやはり圧倒的な実力を示し、エルキャピタンのパシフィックオーシャン・ウォールやシー・オブ・ドリームスはじめハーフドームなどでも時代を超えた高難度人工登攀ルートを多数開拓。これがA5というグレードとともに、その後の氏の代名詞となっていったことはいまさら説明するまでもない。

だが氏の本分は、単にそうした職人的な技術力の高さだけでない。なによりその“革新性”こそが最大のポイントであったと見るべきだろう。その革新性は、まず上記の経歴、フリーの先駆からビッグウォールの先駆ということにすでに充分現れているが、75年の世界初のノーズのワンデイ(スピード)アッセントや、その後の世界の辺境地での驚異的な難度のビッグウォールクライミングに、それ以上に強く示されている。即ち、パタゴニア・セロトーレ・コンプレッサールートの初完登、アラスカ・キチャトナスパイアー、ムースズトゥース東壁冬期初登、ヒマラヤ・プモリ南壁冬期初登などなど。

左からビリー・ウェストベイ、ブリッドウェル、ジョン・ロング。
1975年、The Noseの初ワンデイアッセント成功後
Photo_StoneMastersPress

これらは、それまでの“歩き”の延長にあるような氷壁や雪壁ではなく、今日的な高難度技術を駆使した純粋な“壁”の記録で、それはまさにその後世界の主流になるスーパーアルパインクライミング・ゲーム(リト・テハダ・フローレス『クライマーズ・ゲームズ・プレイ』参照)を先取りしたものといえた。これらを可能にしたのがヨセミテで培ったハイレベルなクライミングで、それを僻地に持ち込むという発想が何より先駆的であり、またいかにもアメリカ的であったともいえる(だいたいアメリカのクライマーは、もともと登山にこうしたスポーツ性を求める傾向があようだ。例えばトム・フロストなども、ヒマラヤクライミングの金字塔と言われたアンナプルナ南壁ですら、ほとんどが歩きでつまらなかった旨の発言をしている)。

それを象徴するような写真が、79年のセロトーレ頂上での、丸太のような腕でアックスを振り上げたガッツポーズ。それはそれまでの多くの山に見られた重そうにただつっ立って旗を脇になびかせているような登頂シーンとは明らかに違う、いかにもアスリート然としたもので、ようやくのことアルパインクライミングに今日的フリーを持ち込もうとしていた我々世代は大いにそれに憧れたものだった。そしてそういうブリッドウェルに憧れた世代として自分たちがいることに、感謝すら感じたものだ。

そのブリッドウェルを最後に見たのは10年ほど前。トゥオルミメドウズの駐車場でクライミングシューズを大量に広げているところで、こちらが舞い上がって「ブリッドウェルさんですか?
お会いできて光栄です」などとしどろもどろに言うと、「どこ登ってきた?」と返してきた。この人は本当に、どこまでもアスリートなんだなと感じた瞬間だった。

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