待望の新刊!『マルチピッチの旅』

『ROCK&SNOW』の人気連載「より高くなく より困難でもない 岩稜&ルート案内」がこのたび書籍化されました。著者である山岳ガイドの松原尚之さんが、易しくて質の高いマルチピッチルートを求めて日本津々浦々の岩場を巡ってまとめた一冊。その名も『マルチピッチの旅 初中級向け岩稜&ルート案内』です。2月中旬発売です。

カバー写真は、奥秩父の鷹見岩南山稜(写真=亀田正人)

訪ねた岩場は、北は北海道の小樽赤岩から、南は鹿児島大隅半島の鬼岳まで。紹介ルートは約30本。書籍化にあたり、雑誌掲載したルートに加えて、松原さん自身が開拓もしくは再整備したルートも新たに収録されています(鷹見岩南山稜、烏帽子岩左稜線、太刀岡山左岩稜など)。

クライマーなら誰もが知るポピュラーなエリアもあれば、それどこ?という知られざる岩場も。グレードは5.10未満が中心ですが、ピッチ数はそれぞれ長短あり、変化に富んだラインナップです。各ルートともに個性的なロケーションをもち、登り甲斐はもちろん、岩壁・岩稜を登り切った先には極上の風景が待つルートばかり。また、本書は登攀を手引きするガイド文に加えて、岩場の歴史やルート開拓の背景を知るエピソードが添えられ、その丹精な文章が各岩場の魅力をいっそう引き立てています。

レッドポイントのクライミングに疲れたときや日本の豊かな風土を再発見したくなったら、ぜひ本書をお供に日本各地の岩旅へ!

なお、いったん書籍にまとまりましたが、『ROCK&SNOW』誌の連載はまだまだ続きますので、以降もお楽しみに。
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本書の前口上として、『マルチピッチの旅』の巻頭を飾る「小川山東股沢 野猿返し」のエッセイを以下に転載します。

「野猿返し」中間部を登る篠原達郎ガイドのパーティ(写真=松原尚之)

易しさこそ正義

「小川山に行った折、東股沢に入ったら、川向こうにかなり規模があり、よい感じの岩稜が見えました。うまくいけば面白そうなルート開拓ができそうです」

そんなメールを篠原達郎からもらったのは2016年10月初めのこと。篠原はこれまでに太刀岡山左岩稜、烏帽子岩左稜線、鷹見岩南山稜など、たくさんのルート開拓や再開拓をともにしてきたガイド仲間である。

翌月さっそく2人で行ってみたところ、難しくはないがかなりのスケールがあり、展望は抜群で、しかもアプローチ至近の岩稜であった。「また初登ルート1本ゲットだぜ」と喜んだのだが、それからしばらくして篠原からもらったメールを見て驚いた。昔の『岩と雪』をたまたま見ていたら、この岩稜の登攀記録を見つけたというのである。記事も添付されてあったが、私たちが登ったルートに間違いない。「野猿返し」という名前がつけられ、1981年5月に登られていた。そして野猿返しの1本下流に位置する岩稜も登られていて、こちらは「野犬返し」と名づけられていた。篠原と下から上まで登ったが、ハーケン1本はおろか、人が入った痕跡など皆無であったのだ。雑誌などに発表しようというモチベーションはこれで一気に急降下してしまった。

そうはいっても内容は悪くなく、また現在まったく知られていないルートであることも間違いない。翌年の春になってから友人の橋尾歌子も誘い、篠原と3人で整備をしながら再び登った。ついでに隣の野犬返しも登ってみたが、こちらは岩がボロすぎ、ヤブもひどいため却下となった。

その後は私も篠原もお客さんを連れてガイドで訪れるようになった。野猿返しを初めて登った際、「易しすぎてちょっとつまらないかなあ……」と感じたのだが、お客さんは皆このルートを気に入ってくれた。そのうちに野猿返しでほかのクライマーの姿を見かけるようになり、登ったという話も耳にするようになった。篠原などあるとき、自分たち含めて4パーティ一緒になったという。知り合い何人かには教えたが、なにしろどこにも発表していない。ちょっとブログに載せただけだし、それだってアプローチやルートの情報を書いたわけではない。SNS恐るべしであった。

登った人の話を直接、間接に聞くと、このルートの評判は概してとても高かった。野猿返しを気に入って、すでに4回登ったなどという女性にも会ったりした。野猿返しはまずその展望がすばらしい。廻り目平の岩峰群から眺めるのとはまた違った風景を眺めることができる。そして残置がほとんどないため、支点構築やピッチの切り方など、自分たちで考えながら自由に登ることができる。そのあたりが支持される要因であるようだ。けれどこのルートがすでにそれだけ多くのクライマーに登られている一番の理由は、何よりも技術的困難度の低いルートであるからだろう。私は野猿返しというルートを通じて、“易しい”ルートの需要がいかに大きいかということを、あらためて知ったのであった。

今から40年近くも前にこのルートを拓き、その記録をささやかに発表した南藤公也と平沼俊成は、野猿返しにクライマーが群がる今日の状況を知ったら、いったい何を思うだろうか。

(初出=『ROCK&SNOW』087号/2020年3月 連載第1回)

『マルチピッチの旅 初中級向け岩稜&ルート案内』
松原尚之著/A5判/136ページ/定価2420円/山と溪谷社


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