アイガー、メンヒ、ユングフラウ北壁継続、最速記録樹立

planetmountain.com
訳=羽鎌田学

2025年4月5日、オーストリア人アルピニストのフィリップ・ブルッガーとスイス人アルピニストのニコラス・ホヤックは、スイス、ベルナー・オーバーラント山群を代表する名峰であるアイガー、メンヒ、ユングフラウという3山のそれぞれの北壁を継続して合計15時間30分という驚異的なタイムで登った。これは、2004年にウーリー・シュテックとシュテファン・ジークリストが樹立した25時間というこれまでの最速記録を大幅に更新する快挙である。

フィリップとニコラスは4月5日(土)午前1時にアイガーの麓を出発し、1938年に拓かれたアイガー北壁初登ルートである最もスタンダードなヘックマイアー・ルート(1800m)を平均時速294mで登り、午前6時43分に山頂に到着。その瞬間をニコラスは次のように語る。「私たちがアイガーの頂上に立った時、ちょうど日の出が始まったのです。まさに感激的な光景でした。また、それは3つの北壁の中で最も難しい壁を足元にした瞬間でもあったのです」。

頂上で2人は、彼らに食料と飲物を運ぶために夜通し単独別行動でアイガー西壁通常ルートを登ってきたスイス人の仲間、アドリアン・ツールブリュクと合流。5分間の休憩の後、フィリップとニコラスは駆け足で下山。そしてメンヒ北壁の1921年にハンス・ラウパーが初登したルートを登り出す。彼らは時速329mという猛スピードで同ルートを駆け登る。「シュルターシュタント」(ドイツ語で「肩乗り」を意味し、その昔、アルピニストが仲間の肩の上に立ってハングを乗り越えた登山技術に由来)と呼ばれるセクションで、2人は、今ではその「肩乗り」の代わりに使われる残置スリングが失われていたが、なんとかそこをクリア。しかし、それでも彼らの登攀スピードはほとんど落ちず、午前10時55分にはメンヒの頂上に到達。「その瞬間、分かったのです。私たちが物凄いスピードで進んでいることが」と、ニコラスは言及する。

メンヒの頂上を後にした彼らは、ユングフラウ登山電車の終点駅のあるユングフラウヨッホ目指して今度は駆け下り、そこでエナジージェルを口に入れる代わりに、午前11時53分にレストランに入り、急いでフライドポテトを注文。「お土産のカウベル、時計、チョコレートに群がる観光客が溢れる、私たちにとってシュールな雰囲気の中で、25分間の休憩を取ったのです」

ユングフラウヨッホでの短い休憩を終えたアルピニストたちはユングフラウ北壁取付きを目指し雪面のトラバース開始。その北壁で彼らが選んだルートは、メンヒと同様にクラシックなラウパー・ルート。午後14時7分に北壁を登り始め、平均時速261mで登攀を続け、16時30分に3山のうちの最高峰の頂に立つ。合計の所要時間は15時間30分。前回のウーリーとシュテファンの記録を10時間ほど短縮したことになる。

フィリップとニコラスのベルナー・アルプス3北壁制覇達成は、これまで幾度となく試みてきた末に手にした結果だ。

「今回の記録は、私にとっては、全く非現実的なものです」と、ニコラスは語る。「19時間から21時間だったとしても、十分満足できたはずです。でも、予想よりもさらに短い時間で達成できたという事実は、私たちが思っている以上にまだまだ多くのことを成し遂げられることを示唆しています」と付け加えた。

今回の新記録達成の瞬間には特別な意味があった。最初の記録保持者であるウーリー・シュテックは、ニコラス・ホヤックの親友であり、登山仲間であり、また良き師でもあった。ニコラスは、2015年にウーリーとロープを結びアイガー北壁のヘックマイアー・ルートを3時間46分で登り、ロープ・チーム最速記録を出している。そのスタミナと登りの正確さから「スイス・マシーン」の異名を持つウーリー・シュテックは、2017年に遠征先のヒマラヤで墜死するまで、歴史上最も優れたスピードクライマーの一人だった。「これまでの記録保持者であったウーリーとシュテファン・ジークリストは、当時、スピード登攀のパイオニアでした」と、ニコラスは締め括る。「最初に何かをしようとすることは常に困難なのは当たり前ですが、大切なのは、そのアイデアを思いつくことなのです」

ニコラス・ホヤックは、2022年には、今回は水と食料の補給係を務めたアドリアン・ツールブリュクとチームを組み、グリンデルワルト村から出発して、アイガー、メンヒ、ユングフラウが形作るスカイラインを北壁のルートではなくクラシックなルートで結んで、ゴールのシュテッヘルベルク村まで13時間8分49秒で縦走し、大きなニュースとなった。

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