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ケイト・ケレガン、ローラ・ピノー、女性クライマーで初めてヨセミテ・トリプル・クラウンを達成【後編】
IV. 「24時間はもらいだわ」
2025年6月8日午前7時15分、ケイト・ケレガンとローラ・ピノーはエル・キャプ・ピクニックエリアに駆け込み、駐車したバンからハーネスを下ろした。灰色だった光が、徐々に明るくなっていく。今度は、数人の友人たちだけがいた。ケイトのピンクのレギンスもローラの赤いレギンスも、黒い土で汚れていた。2人はくしゃくしゃの三つ編みを振り乱し、厳粛な面持ちで地面にひざまずき、ギアを辺り構わず投げ出して山積みにしていった。2度目にして最後の移動の始まりだった。
彼女たちはThe Noseを登るのに一晩たっぷり費やした。「グレート・ルーフにいたクモにぞっとしたわ」と、ケイトは後に語った。「ギアをセットするところを探してヘッドランプで照らしたら、クモの目が光って見えるのよ」。ローラは最初の4ピッチを烈火の如く登り切ったが、それでもクライマー1人につき10分余分にかかってしまった。マウント・ワトキンスから得た40分の時間的余裕は、今やわずか20分。24時間以内にトリプル・クラウンを完登できそうだったが、突然の激しい疲労感に襲われてペースダウンしない限りの話だった。
ケイトは、明らかに心配そうだった。ローラの顔から笑顔は消えていたが、口調は変わっていなかった。彼女は「そうよ、24時間はもらいだわ」と言い、ギアを掛けなおしたハーネスをバンに放り込んだ。彼女の声には成功に対する疑いは少しも感じられなかったが、時間的なプレッシャーを感じていることは手に取るように明らかだった。ローラは慎重にコンタクトレンズを装着しているケイトの横を通り過ぎながら、彼女に念を押した。「あと5分よ。もう行かなくちゃ」
V. ウルトラマラソンのように
トリプル・クラウンに乗り出す1週間前、ヨセミテ・ビレッジ近くの友人宅で市松模様のキッチンテーブルを挟んで座ったケイト・ケレガンは、ボールペンで描かれたトポがびっしりのノートを私に手渡した。彼女のメモは私立探偵のメモにも匹敵するほどに緻密だった。彼女とローラのマウント・ワトキンスでの2度目のトレーニングをまとめたページには、天候に関する7項目のデータ、服装に関する4つのコメント、そして12の結論が列挙されていた。その中には「3ピッチ目はトーテムカムのブラックのみ」「ブッシュにロープをフィックス」「上部11bのパートにある残置スリングのかかったボルトにはオーバル型カラビナ使用」「5ピッチ目ではロープの流れをよくするために長めのスリングを使用」といったことが含まれていた。
ケイトによると、他のトリプル・クラウンに挑戦したペアと比べて、彼女とローラは細かい点へのこだわりがはるかに強かった。カロス・スマートウォッチで睡眠の質をトレースしたり、電解質やカロリーの値を測定したりして、スピードを上げるためにあらゆる小さな最適化を試みていた。
ケイトとローラのペアが4月12日前後にヨセミテ渓谷に到着した時、トリプル・マラソンに向けての準備期間はちょうど2ヵ月。当時、「ウルトラマラソンの準備と同じようなトレーニングをしています」とケイトはコメントし、「ウルトラマラソン・ランナーは普通のマラソン・コースを走ってウルトラマラソンの練習をするのではなく、もっと短い距離を走り込んで準備するのです」と説明していた。彼女たちのお気に入りのウルトラランナーは、米国人女性ランナー、コートニー・ドウォルターだった。彼女たちはノー・マンズ・ランド映画祭でコートニーが主人公の映画を観たことがあった。その映画の中で、「コートニーは、『ペイン・ケイブ(「苦しみの洞窟/空間」)で過ごす時間が長ければ長いほど、苦しみがより快適になっていく』と言っていました」と、ケイトはコメントし、続けた。「それを聞いた時、私たちなんかペイン・ケイブにソファを持ち込もうとしているようなものよ、と冗談に言ったものです」
計画では、各ルートの所要時間を、例えばマウント・ワトキンスでは5時間、エル・キャピタンでは7時間以下、ハーフドームでは6時間に短縮できるよう、それぞれのルートをトレーニングで登り、その後、丸々1週間レスト。そして、3本のルートを一気に制覇する予定であった。ダブル(2本のルートの継続)を試みることは省略して体力を温存し、友人や家族のサポートに頼って高いエネルギーレベルを維持することにした。
しかし、彼女たちのスケジュールを圧迫していたのは、迫り来る夏の気配だけではなかった。ひとつは、ケイトが最近になって右足の親指の付け根に外反母趾のようなターフ・トゥを発症したことだった。「休憩を取らないと、日に日に悪化していくのです」と、彼女はコメント。「ハーフドームのチムニー登りと歩いての下山が、症状を悪化させていたのです」。トリプル・クラウンへの準備を早く終えなければならなかった。トレーニングを1週間延長するごとに、ケイトの体にはさらなる負担がかかる有様だったのだ。
トレーニングの最初の数週間は過酷だった。彼女たちはThe Noseからトレーニングを始める。ケイトは長年のNIADで培った経験から、このルートのことは手に取るようにわかっていた。「ローラにThe Noseのベータを教えるだけで1000カロリーは消費したと思うわ」と、ケイトは語る。4月19日の最初のThe Nose登攀では12時間53分かかったが、それは極寒の中でのクライミングだった。5日後には、9時間を切るまで所要時間を短縮したが、ローラが3ピッチ目の滑りやすいグルーブを練習していた時、イラつき感情的にキレてしまうような場面もあった。おまけに彼女は、4月30日から丸1週間、食中毒で体調を崩してしまった。
その4月30日までの1ヵ月弱で、彼女たちはThe Noseを2度一緒に登っただけで、トリプル・クラウンの準備が整っているとは到底言えなかった。「男性たちは1回目、2回目とそれぞれゴールタイムを更新しているのですが、そんな彼らに対して、私たちはまだ目標タイムを達成できていませんでした」と、ローラは言う。そして5月5日、強風とローラの体調がまだ十分に回復していない状況の中、2人はThe Noseで7時間39分を記録。目標タイムにはだいぶ近づいたが、まだ届いてはいなかった。
それでも、彼女たちはマウント・ワトキンスへと転戦し、ローラの誕生日である5月8日にSouth Faceに取り付く。半分様子見のつもりで登ったのだが、9時間3分でトップアウト。山頂でケイトは、こっそりザックに忍ばせてきた一本のロウソクを取り出し、スクラッチ・ラボ社のミニ・エナジーバーに突き立てて、ローラの誕生日を祝い、彼女を驚かせた。マウント・ワトキンスでの2度目のスピード・トライは5時間57分で終了。ケイトとローラは3時間近くもタイムを縮められたことを祝った。しかしながら、さらに自動化するために再トライの必要があると悟る。そして5月15日に3度目のトライ。その際、ローラが初めてミスをおかした。3mほどフォールしてトーテムカムのブラックに助けられたが、もしそのカムが抜けていたら、さらに18mぐらいは宙を舞うことになっていた。
「大声で叫んでしまったわ」と、ローラは語る。「墜落のせいで、本当に体が震えました。そして、もう絶対に落ちないようにと心に誓いました」。ケイトは、「マウント・ワトキンスの岩は、特にガラスのように大変滑りやすいのです」と説明を加えた。ローラが落ちたところは最も安全な場所の一つ。しかし、墜落のショックは大きかった。「かなり動揺していたのでしょうね。派手に落ちた後、いつもはフリーで登る次の5.10のピッチを、その日、ローラはフリーでは登れず、フランス語で罵声を上げていました」。そんなことがありながらも、彼女たちのタイムは速かった。5時間15分。ほぼ射程圏内だった。
最後に、ペアはハーフドームにトライ。5月19日の初トライは、ケイトによると「ムーブを確かめるだけ」だった。9時間4分で完登。少し時間がかかったが、心配無用だった。トレーニングだったからだ。2度目は、本番さながらのスピードクライミング。途中、ローラは、#0.1/#0.2のオフセットカムが外れた拍子に、ロープより先にデイジーチェーンに墜落の衝撃がかかってしまうミスをおかしたこともあった。それでも、トライは成功だった。彼女たちはハーフドームを目標タイムをわずか5分上回っただけの6時間5分で登り切った。これは、それまでにトライした3ルートのなかで、設定した目標タイムに最も近い記録だった。
ハーフドームにて – ローラ
写真=Thibaut Marot
エル・キャピタンとマウント・ワトキンスでの所要時間を縮めるために、ケイトとローラはそれぞれのルートをもう1度ずつ登り、最終的に、エル・キャプのThe Noseを7時間5分(許容範囲内)、そしてワトキンスのSouth Faceを4時間47分(許容範囲以上)というタイムで登ることができた。しかし、24時間レースの序盤で時間的余裕を稼ぐために、マウント・ワトキンスでのタイムをもう少し縮めたいと考えて、追加のトライ。そして最後のトレーニング・ランを終えた時点で、2人が装着していたカロス・スマートウォッチが示していた身体の回復状況の数値はわずか4%。ケイトはこの数値に基づいて回復スケジュールを立て、トリプル・クラウンへの挑戦を開始する頃には回復率が100%になっていることを目標とした。
トリプル・クラウンにトライしたペアの中には、各ルートを登る合間に30分間のレストを取ったクライマーたちもいれば、十分な時間があることを承知の上で、休まずに進み続けたクライマーたちもいる。しかし、ケイトとローラの場合は、本番でそれぞれのルートを再びベストタイムで登ることができたとしても、時間的にはギリギリだった。「その時のタイムで、ルート間の移動を休憩なしで順調に済ますことができて、ちょうど24時間でした」と、ケイトは語る。2人とも、トリプル・クラウンを一気に完遂することが最大の目標であり、24時間切りは副次的な目標だと明言していた。しかし、先人たちのスピードクライマーたちが打ち立てた24時間以内という記録にギリギリ届かないという結果も、少々屈辱的ではあった。
VI. 多少の雨でも前進あるのみ
ケイトとローラがマウント・ワトキンスを登っていると、ヨセミテ渓谷に雷鳴が鳴り響き始めた。スタート時間は、6月7日午後3時58分。24時間以内でトリプル・クラウンを達成するためのタイムリミットは、翌日6月8日午後3時58分。トリプル・クイーンズ・サポートチームという名のグループチャットに参加していた28人は、雷鳴が聞こえた以上、登攀継続を諦めるしかないのかと不安になったが、ローラが送ってきた自撮り写真で全ての疑問が消え去った。彼女は、「少しくらいの雨じゃあ、私たちは止まらないわ」というメッセージをつけて写真を送信。そしてスマホの電源を切ったのだった。そして、マウント・ワトキンスのトップに立った時、彼女たちは自己ベストを40分も縮め、次の2つの壁での貴重な時間的余裕を確保できたのだった。
夜にThe Noseを登っている間に雷鳴は消えたが、ハーフドームを登り出すと再び雷が鳴り響き始めた。ハーフドーム取付きまでのデス・スラブズと呼ばれるアプローチをちょうど1時間30分で登り切る。その時点で、徒歩での移動距離は計29㎞ほど。そして登攀高度は計1500mほど。
ケイトは疲れ果て、半ばパニック状態だった。「最悪の悪夢だったわ」と、彼女は語る。「24時間のタイムリミットが目前だったのよ」。実際は厳密に言うと、まだ午前9時40分で、ハーフドームを登り切るためには6時間残っていた。彼女たちは以前にも6時間5分で完登していたことがあったが、その時は2つの壁を継続して登った後でも、また睡眠不足だったわけでもない。
ケイトは最初の同時登攀のパートで、自分がかなり緊張しているのを感じた。それでも、自分の担当のエイドピッチを登り終えた時、ローラに言われた。「あなた、今までで一番速かったわよ」と。
「よかった!最高だわ!」と、ケイトは元気を取り戻して叫んだ。
後にローラはその時嘘をついていたことを認めた。「彼女を少し奮い立たせようとしていたのです」と、彼女は言う。「実際には、彼女が登る時間を私は計っていませんでした」
ハーフドームの次のチェックポイントであるチムニーの取付きで、ローラはケイトに次のように言った。「あなたがあなたの担当パートを1時間半で登り切り、私が私のそれを1時間半で登れば、きっと成功するわよ」。ケイトは自分自身を叱咤激励した。「『今残っているエネルギーはすべてチムニーで使い切るわ』っていう意気込みでした」。ケイトは集中力を維持し続け、燃えるように熱くなった足を無視して、岩を駆け上がった。
ローラは、彼女が担当する終了点までの最後のパートをリードし始める時、ケイトにピッチごとの残り時間をチェックするように頼んだ。最後のピッチの段階で残り時間は30分。ケイトはそれまで考えもしなかったことに気づく。自分たちは本当にトリプル・クラウンを目標時間内に完登しようとしているのだ。
目が眩むようだった。周囲では既に稲妻が閃いている。その時、彼女が3年間抱き続けた夢の実現へ向けて‐精神的にも肉体的にも‐できることは、最終ピッチを、ローラがフィックスしたロープ伝いに駆け登って行く以外に何もなかった。
ケイトが最後のアンカーでローラに追いつくと、ローラはストップウォッチを止めた。画面に表示された時間は、23時間36分。2人はロープを結んだまま抱き合う。ケイトの頬に流れる涙が光る。今、2人して歴史的な偉業を達成したのだ。
「まだ現実味がないわ」と、ヨセミテ・ビレッジに戻ったその夜、ケイトは言った。彼女は、カーペット敷きの床に足を組んで横たわっていた。部屋の反対側から彼女に微笑むローラが言う。「何年もかけて準備してきたんだから、そんなものよ」
「ところで、ペイン・ケイブはどうなったの?」。ケイトは笑って答える。「今はまるで豪邸みたいになっているわ」
ハーフドーム頂上にて