サイード・ベルハイのAction Directe再登に疑惑

文=ハネス・フッフ* Hannes Huch/rokblok.de 訳=羽鎌田学 

2018年秋、サイード・ベルハイはAction Directe再登を主張した。しかし現時点(2019年12月6日)まで、他の多くのエリート・クライマーたちと共に、私は彼の主張を信じることができないでいる。疑念を抱き始めて以来、絶えず私は、サイードが何らかのかたちで私の数々の疑問を解き、その結果、この問題を解決できることに手を貸してくれると期待してきた。しかし、彼はそうしなかった。

Action Directeの、主にその歴史に焦点を当てたドキュメンタリーを作成していた時、私は不正行為の共犯者にはなりたくないと考えた。それが私に割り当てられた役割であるかのように感じさせられたのだ。今回の一件についてサイードが私に最後に言ったことは、「自分は自分自身のために登るのであって、証明する必要は何もない」であった。一般論としては、それはもちろん素晴らしいことだ。自分自身のためだけに登る、これは最高のことに違いない。でももしそうなら、インスタグラムにアカウントを持つ必要もなければ、スポンサーさえもいらないのではないだろうか。

なぜ私は彼の再登を信じられないのか。その理由を説明する前に言っておきたいのだが、私には今までAction Directeに取付くエリート・クライマーたちと多くの時を過ごしてきた経験がある。もちろん私自身はそのルートを登ることはできない。しかし、そのルートを登るために何が必要なのかは充分わかっていると考えている。

たとえば、Action Directeをトライする小山田大と一緒に過ごしたこともある。彼は、フランケンユーラで8c以上のボルダ―課題を再登したことのある唯一のローカルではないクライマーだ。それは、ここフランケンユーラでのパワフルなクライミング・スタイルに彼のそれが完全に適応しているということである。もちろんいずれにしても彼は素晴らしいクライマーだ。にもかかわらず、そんな彼でさえAction Directeの再登には何年もかかっている。どちらかと言えばこのルートが彼のようなボルダラー向きの一本で、それぞれのムーブは簡単にこなすことができていたにもかかわらず、何度かこの地を訪れなければならなかったのだ。イーケル・ポウについても同じことが言える。

ではここでローカルのひとり、マークス・ボックについて考えてみよう。彼はここフランケンユーラで育ち、Action Directeと似たタイプのそれはもう無数のルートを登っている。もちろん信じられないほどの鋼鉄のような指を持っている奴なのだが、そんな彼でも再登には時間がかかっている。

サイードは、自分は全くボルダラーではないと言う。

■全ては信頼と共に始まる

どのように私とサイードの付き合いが始まったのか。サイードの方から、2018年7月にフリードリヒスハーフェン(ドイツ)で開催されていたアウトドア見本市で私に近づいてきた。常に私の心を惹きつけて離さないこと、それはクライミングという行為を、特にその歴史的側面を記録すること。だから、ルートの歴史、そしてそれを登った者たちについて相応しいビデオを作成することは何よりもうれしいことなのだ。その時最初からサイードが、自分がそのルートを登ることよりも、その歴史を記録することを強調する姿は、少々奇妙でもあった。当時、私も常時彼と行動を共にする時間もなかったので、再三にわたり彼に次の2点を伝えておいた。

1.「もしレッドポイントが近いと感じたら連絡してくれ。カメラを持って駆けつけるよ。君が登る姿は、今私たちが作ろうとしているビデオにとって大切な部分になるから」 私は車を使えば30分でAction Directeの取付きまで行けるところに住んでいる。しかし彼はそうしなかった。

2.「私を呼び出すことができなかったら、少なくともiPhoneを使って自分の登るところを撮っておいてくれ」と、彼にはそれはもう何回も何回も言った。Action Directeの取付き脇には石積みがあり、そこにカメラを置けば、とても簡単にビデオが撮れるのである。事実、その石積みを利用して多くのクライマーたちが自分の登る姿を撮影している。しかし彼はそうしなかった。

■何があったか

彼とAction Directeを撮影したのは2度だけ。一度目は彼が登ったと宣言する以前。2度目は、それ以後。2度目のセッションには、ジェリー・モファットも立ち会った。その時、サイードはテンションをかけながらでも登れるような状態ではなかった。上部のムーブは確かにハードだ。しかし、これは登れるぞ!と断言したり、絶対に登るのだという大望を抱いたりするクライマーなら、それなりに容易にムーブをこなせなくてはならないはずだ。細かい点については、私がしたように他のAction Directe再登者に尋ねてみてくれ。彼らの考えも同じだ。サイードは自分が登れないのをコンディションのせいにしていたが。

もっと重要なことは、彼が昨年の秋、一度も例の伝説的な出だしのランジに成功していないということだ。私は、ランジして取ったポケットから登り始めてAction Directeを何度も”再登“したことのあるクライマーを知っている。そんなもうすぐにでも再登できそうな彼らでさえも、何年も何年もトライしているのに、そのランジが決まらないでいるのだ。背が低ければ、なおさらのことだ。そのムーブは極めてハード、テクニカル的な視点から大変難しいのである。

彼のいつものビレイヤー(Action Directeをトライするサイードをビレーしていた人物)は、昨年秋に彼らが岩場にいた時、サイードは一度もランジに成功しなかったと言う。事実上の取付きとなる地点にあるこのランジが、ルートの核心になっているのである。彼のビレイヤーは、サイードはムーブを探ってはいたが、決して本気のレッドポイント・トライをすることはなかったとも言う。カメラマンのレイ・デムスキーが、Action Directeを登るサイードの写真を撮った時にも、彼はそのランジに成功することはなかった。

秋にフランケンユーラで登っていた時、彼は5日間だけスペインに足を向けた。10月22日に出発し、27日に戻ってきたのである。そして突然、そのフランケンユーラに戻ってきた日に、レッドポイントしたのである。面白いことに、まさにその当日、そして前日にも私は彼にワッツアップで「今どこにいるの?」というメッセージを送っている。もちろん移動の道中、絶えず通話圏内にあったはずだ。しかし彼は私の問いに返信することはなかった。当日の夜、午後9時2分になるまで。そのメッセージの中で彼は言った。

「カタルーニャからの移動で、めちゃくちゃ忙しい一日だったよ。で、今日登ったよ、Action Directeを」

後日彼は、彼がレッドポイントした時、何人かのチェコ人がそこにいてビデオを撮っていたと言った。そこで私はサイードにその動画を彼らからもらったかと尋ねたが、彼の答えはこうだった。

「アドレナリンが体中を駆け巡っていて、そんなこと口にするどころじゃなかったよ」

私は、彼が私を呼び出さなかったこと、私のワッツアップのメッセージに返信しなかったことを大変残念に思っている。なにしろその時私は長さ20分のドキュメンタリーを作成中だったのだ。サイード自身も何度か言っていたように“人生で一度は登ってみたいと夢見るルート”を登る自分の姿を、それも無料で撮影してもらえるチャンスを逃すようなクライマーがいるのだろうか?

ジェリー・モファットを伴い岩場に足を運んだり、彼にニュルンベルクのヴォルフガング・ギュリッヒが初めてキャンパスボードを設置したジム“キャンパス・センター”でインタビューを試みたり、様々な趣向を凝らしていた。それらしいしっかりしたビデオを作成するのに、それはもう一生懸命になっていたのだ。完成したビデオをパタゴニアに買ってもらえるチャンスもあった。私が抱く疑念を脇に押しやることさえできれば、今だってそれを売ることもできるだろう。ただ人間、正直にならなくては…

私は映像作家でもある。だからハイライトを最後に持って行きたいと思うのも当然だろう。そして、クライミングを題材としたビデオのハイライトは、常に、ついにルートを登り切るシーンだ。最初は、大変奇妙なことに気づきながらも、サイードは本当のことを言っているのだとは、まだ考えていた。しかしその時、私の目の前にいる人物が嘘をついているとは信じることができなかっただけかもしれない。

■しかし現実は…

当然レッドポイント当日サイードを確保していたのは、私も知っている例のいつものビレイヤーだと考えた。そこで彼に連絡を取り、当日の詳細を尋ねることにした。そして私が知ったことは、まさにその日ビレーしていたのは、彼ではなかったということである。えっ、何だって?そこで、私は直接サイードにビレイヤーは誰だったのかを尋ねた。10日間ほど答えを得ようと試みた後、やっと彼は私に次のように言ってきた。

「彼の名前、ハッキリとは覚えてないよ。確かマイクとか、そんな名前だったかな」

 そして続けた。

「彼とはインスタで連絡を取り合っていたんだけど、なんか最近、彼、インスタから姿を消してしまったみたいだよ。だから他に彼とは連絡の取りようがないんだ。おまけに彼と登ったのは2度だけだし。でもそのうち、また現れるとは思うよ」(その時のサイードとのやり取りは録音して保存してある) 

またしても“未知なるビレイヤー”の登場だ。彼は時折クライミング史の中に姿を現す。

私は奇跡など信用しない。かつて今日ほど岩の上での自分のパフォーマンスを記録することが簡単な時代はなかった。少なくともボルダリングとかシングルピッチのクライミングとかを映像で記録することなど、今では容易いことだ。また、個々のムーブは簡単にこなせたとしても、それらを繋げてルート全体を登り切ることにはほど遠いクライマーを私は今まで数多く見てきた。これら全ての証拠を結びつけると、彼が主張する、その“素晴らしい瞬間”を私はどうしても信じられないのだ。一度もできなかったランジが突然できて、終了点まで一気に登り切ってしまった、その瞬間を。それは全くのナンセンスだ。もちろん私だけではなく、私が言葉を交わした誰もが似たような考えであった。

私は、彼の名はAction Directe再登者リストの中から削除されるべきである、と考える。チェコ人が撮影したと言うビデオを彼が手に入れるか、証人の眼前でもう一度ルートをレッドポイントするまでは。

この件に関して、何人かのジャーナリストと話したが、9aルートの再登がひょっとしたらフェイクである可能性などニュースにする価値はないようであった。8a.nuの創始者、編集長でもあるイェンス・ラーションは次のようなことをメールに書いてきた。

「君が言いたいことはすごくわかるよ。これが9b+のルートだったら、ビレイヤーと一緒に人前に出てこいと、私なら言ってやるだろうな。君にとってはAction Directeは9b+のルートみたいな存在だから、よく理解できるんだよ」

イェンス、ちょっと待ってくれよ。君は完全には私を理解していないようだ。私が考えていることは、自身のクライミングを公表しようとする者は真実を語るべきだということ。ただそれだけだ。特に、自身のクライミングによってスポンサーからお金をもらっている者は、そうしなくてはならない。でっち上げのクライミングで有名になろうとか、金を儲けようとか考えていないクライマーなら、話は別かもしれないが。

私は今感じているような疑念を放っておくことができないほどに、クライミングを愛しているだけなのだ。自分がそれに値すると考えている名声を得られないことが耐えがたい人もいる。ソーシャルメディアを使って自分を宣伝することはとても簡単で、それ自体は特に悪いことでもない。ただこれまでは信頼がベースにあったゆえに、証拠が求められることもなかった。しかし今、動画による証拠について真剣に話さなくてはならない地点に私たちはいるようだ。それは残念ではあるが、必要なことなのだ。

この告発の重大性は充分承知している。しかし私はジャーナリストでもあり、真実を追い求めるのが私たちの使命だと考える。80年代からのひとりのクライマーとして、またギュリッヒ家のひとりの友人としても、「Action Directe再登の名誉は、全ての真実を表に出す者だけに与えられる」と私は考える。

私のインスタグラムアカウントや8a.nuのサイト上などで議論が継続中である。ただ私はクライミング界の不正を暴くジャーナリストとして自分を見ているわけではない。この一件に関して私が抱く疑念をシェアすることだけが、私の望みである。

*クライミングジャーナリスト、トレーナー。ニュルンベルクのクライミングジムCafe Kraftを主宰。ドイツチームコーチ。


Action Diredte (9a/5.14d)をトライするサイードと筆者

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