フェリーペ・カマルゴ、ブラジル初の9a+(5.15a)、Auto Retratoを初登

desnivel.com
訳=羽鎌田学

ブラジル人クライマー、フェリーペ・カマルゴがブラジル、リオデジャネイロの北に位置するミナスジェライス州にあるセーハ・ド・シポーの岩場で、悪条件との厳しい戦いの末、Auto Retratoを初登した。

彼がこのルートを9a+とグレーディングしたことにより、Auto Retratoは南米最難ルートという栄誉にも輝くことになるであろう。

「私がクライミングを始めたのは、2001年。その年にクリス・シャーマがBiographieを完登し、世界最難グレードが9a+に引き上げられた年でもありました。しかし当時、ブラジルの最難ルートは8b+(5.14a)。ですから、9a+を登るなんて、ブラジル人クライマーの私たちにとって、夢のようなこと、到底できそうもないことでした」と、フェリーペ・カマルゴは自国での最新の偉業の背景を語る。そんなブラジル人である彼が、ブラジル初の9a+、そして南米で最も困難なラインの一本であるAuto Retratoを初登したのだ。

フェリーペ・カマルゴはしばらく前から、セーハ・ド・シポーで9月初旬に遂に達成したこのプロジェクトに取り組んでいたのだった。彼は、先月8月には、同じ岩場にある別のルート、Gran Reservaを初登して9a(5.14d)としていたが、Auto Retratoはその不利な条件によってブラジル人クライマーの執拗なトライを拒み続けていたのだ。

「このルートの完登は私にとって大変特別なものです。この完登を実現するためには、大いに悩まされました。そもそもコンディションがなかなか揃わない岩場なのですが、特に今シーズンは状態が酷かったのです。ですから、あらゆることを試さなければなりませんでした」と、彼は強調する。可能な限りのベストなコンディションを揃えるために、ありとあらゆるリソースを利用しなければならなかったのだ。

「最初は、ロープにぶら下げたバッテリー駆動の送風機で風を送って、真夜中に登っていました」と彼は説明するが、それも必ずしもうまくいかなかったようだ。「それでも、ある日最後のムーブで落ちて、もう少しだというところまでこぎつけたのですが、その時は用があって家に戻らなければなりませんでした」

そして、再び彼がセーハ・ド・シポーにやって来た時には、既に雨季が到来していた。そのため、夜でも湿気が多過ぎて、高難度ルートを登ることは不可能になっていた。

「最後には戦略を変更しました。朝5時に起きて、6時20分にウォーミングアップを始めたのです。そして、2度トライしたのですが、結果は散々でした。なぜこんなに朝早くから登るのか、体がまったく理解していなかったのです。でも、その日の3度目のトライで完登できたのです。なんと朝の8時40分に無事に終了点にクリップできたのです」と、フェリーペは語る。

そして、次のようにコメントを続けた。「自分の国でこれほど難しいルートを初登できたことは、これまで私がしてきたいかなることよりも、はるかに特別な感じがします」。その今までに彼がしてきたことには、スペイン、カタルーニャ、ラ・コバ・ダ・ルセールの岩場で2019年4月に再登したEl Bon Combat(9b/5.15b)も、もちろん含まれているはずだ。

南米初の9a+か?それとも2本目?

今、フェリーペ・カマルゴは、Auto Retratoが南米初の9a+になるのではないかと考えているようだ。間違いなく、このルートはブラジル最難であり、また南米生まれのクライマーによって初登されグレーディングされた南米大陸にある9a+ルートであることは確かだ。ただ、南米大陸初9a+ルートの称号を獲得するには、明らかにしなくてはならないことがある。それは、Le vent nous porteraのグレードだ。南米には、2017年にドイツ人クライマー、ピアミン・ベアトレがチリのソカイレの岩場で初登し、やはり同じ9a+としたルートが存在するのだ。当時ピアミン・ベアトレが南米で初登した複数のルートの一部が、最近グレードダウンされていることも事実だが、現時点では、標高3600mの高地に位置するLe vent nous porteraの再登は知られていなく、そのグレードも確認されていない。

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