ディディエ・ベルト、遂にCobra Crack完登

planetmountain.com
訳=羽鎌田学

スイス人クライマー、ディディエ・ベルトがカナダのスコーミッシュでCobra Crackを登った。カナダ人クライマー、ソニー・トロッターが当時世界最難クラックの一本として賞賛されたCobra Crackを初登したのは、2006年のこと。しかし実はその前年の2005年には、この絶悪なスプリッタークラックを今回の主人公ディディエ・ベルトは完登寸前まで迫っていたのだった。

2024年5月14日、1981年生まれで今年43歳のディディエ・ベルトは、カナダのスコーミッシュでCobra Crackの再登に成功し、ほぼ20年前に一時は達成しかけていた因縁の課題にけりをつけ、遂にその長い一幕を閉じることができた。

スコーミッシュのチーフと呼ばれる岩場裏側に位置するこの前傾した30mのシンクラックは、もともとは1980年代にローカルクライマー、ピーター・クロフトとタミ・ナイトによって登られA2とグレーディングされたエイドラインであった。そして2000年代初頭には、当時クラッククライミングの世界的第一人者であったディディエ・ベルトによって執拗にトライされていた。

2003年にはイタリア北部のピエモンテ州オルコ渓谷で前傾壁に走るシンクラック、Greenspitを史上初の5.14トラッドルートとして初登するなど、複数の高難度トラッドルートの初登を経て、ディディエはピーターらがA2で登ったエイドラインの初フリー完登を目論み、その実現に極めて近づいていた。

しかしながら、2006年、彼はまだまだ25歳という絶頂期にありながらも、膝の怪我をきっかけにクライミングの世界から完全に身を引いてしまった。そして、フランシスコ会修道士になるためにスイスの修道院に隠遁したのだった。

そして、このルートは、奇しくもディディエがクライミングを止めた2006年に、やはり彼と同時期に執拗にトライしていたソニー・トロッターによって初登され、世界最難の純粋なクラックルートの一本として注目を浴び、初登後20年近く経っても、いまだに世界中のクラッククライマー達を惹きつけてやまない。

そしてディディエも、その惹きつけられたクライマーのひとりであったのだ。

既に多くのクライミングメディアで取り上げられているように、このスイス人クライマーは、2020年にクライミングに復帰するや否や、すぐに目覚ましい成果を次々に挙げ、あっという間にクラッククライミングの頂点に返り咲いた。昨年6月には、彼はやはりチーフの岩場にある見事なスプリッタークラック、Crack of Destinyを初登し、5.14bとグレーディングした。当時、Crack of Destiny初登後のplanetmountain.comとのやり取りの中で、彼はぜひCobraを登りたいとの意向を示し、「もし登れたら、それは私のクライミング人生の中での一幕を下ろす、素晴らしい出来事になるでしょう」と語った。5月14日は、まさにその素晴らしい日となったのだ。

Cobra Crack完登後に彼は自身のインスタグラムに次のように書き込んだ。

「これがひとつの章の終わりなのか、それとも新たな章の始まりなのかは分からない。しかし、確かなのは、昨日の経験したことは、私の人生において大きなターニングポイントとなるだろうということだ。

私は“やっと”Cobra Crackを登った。数々の試練とあらゆる迷いの末に、昨日、ひとつのことが終わり、そしてこの日は私の人生に永遠に刻まれることとなった。

私が愛する2人、トマシーナ・ピジョンとシダーを始め、この挑戦の過程で私をサポートしてくれたすべての人々に心から感謝の意を表する。そしてまたメイソン・アールには特別な思いを込めて、今回のクライミングを次の言葉と共に捧げる。

大きな夢を見ることを止めないで。どんな困難にも負けずに」

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