『ROCK&SNOW』092号、特集は「会心の登攀2021」 立山・ハンノキ滝ソロの門田ギハードに聞く

今年2月12~15日、富山・立山連峰にあるハンノキ滝を冬季単独初登した門田ギハード。

落差500mと日本最大級の滝であることに加えて、雪崩、氷質の悪さといった不確定要素のきわめて高い氷瀑をいかに克服したのか。その詳細はロクスノ092号に寄稿されるが、それに先駆けて3月にうかがった話を公開する。

ドローンなどを駆使した迫力の映像、渾身の登攀はこちらから。
日本一の氷瀑に挑む 「立山連峰ハンノキ滝 単独初登攀の記録」
2021年5月29日(土)、BSプレミアムで放映(18:00~19:30)

写真提供=門田ギハード、Mountain Gorilla Films、小林鉄兵/Sunborn
インタビュー=田中幹也+編集部

――なぜハンノキを。
4年前、アイスのコンペに出始めたころ、佐藤裕介さんの冬の称名や、宮城(公博)さんや藤巻(浩)さんのハンノキの記録をたまたま見つけたんです。「日本一の氷瀑」という言葉に強烈な憧れを持ちました。

――そのときから「ソロ」を?
いえ、漠然とした目標だったので。ただ、そのときから、いつかトライする日のために、1~2月の天気予報をチェックして、データをエクセルにまとめる作業を始めました。

――目標が、具体的になったのは。
2020年はコロナでW-CUPがなくなり、また、この冬はラニーニャ現象で寒くなることもわかり、ハンノキを狙う一世一代のチャンスだなと。

そのとき、ハンノキはパートナーが簡単に見つかる対象ではないけれど、相方がいないという理由でやめるのは、自分のなかで逃げだな、と思ったんです。ソロだと死ぬかもしれないなと思いましたが、この先、長いかどうかは別として、人生が続くなかで必ず勝負の時期がある。それを理由をつけて逃げたり諦めたりするのは、死ぬことよりも怖かったんです。それで、夏ごろからパートナーがいなくても行く前提で準備を始めました。

――プレ山行の「傾向と対策」が明確でした。
自分の苦手なところを客観的に見つけて克服していくのが、一番合理的だと思っています。古いクライマーの「根性論」に興味はありません。たとえば雪山の一般的といわれるステップを刻んでいたら、何年たっても強くならない。最短ルート・最小限の労力で、最大限の結果を出すことを常に頭に置いていました。プレ山行は、ハンノキという明確なゴールから逆算して計画しました。

――その概要を。
まず日本で一番難しいミックスルート(神居古潭・斬鉄剣)で、核心を突破する力を。次に一番弱点だと思っていた「歩き」に備えて甲斐駒(黄蓮谷右俣)ワンデイ。また、全然情報がない氷瀑をソロで登るため、秋田・男鹿半島の門前大滝へ。その後、マルチもできるだけ状態が悪いところを選んで山梨・北精進ヶ滝に行きました。加えて、メンタルを鍛えるという意味で、簡単なフリーソロの練習や、ソロイスト〔ソロ登攀用のギア〕に習熟するため、岩場であれこれ試行錯誤しました。

――本番について。戦術から教えてください。
基本すべてのピッチを登り返すロープソロ〔Z法〕で、ロープは80m2本、70m1本を使いました。この登り方は1ピッチ登って、降りて、登り返して、っていうのがずっと続くので、時間も体力も二倍三倍かかります。ハンノキの高差500mのスケールを一発〔ワンプッシュ〕で抜けるのは時間的に無理なので、初日にロープ3本分、約200mフィックスを張りました。それで、いったん取付に降りて、翌日その200mを登り返しロープ3本を切り離し、そこから上部の突破は、まっさらな別のロープでやるという作戦です。

――登り返しはユマーリング?
(結氷状態が悪くて)アンカーが信用できないので、登り返しも普通に登りました。落ちたときに止まるようにアッセンダーはつけていましたが、テンションはかけずに。

――荷物は?
50ℓザック一杯で、重さ20kgぐらい。雪崩がいつ来るかなって上を見るときは、のけぞりながら(笑)。ユマーリングは木でちゃんとアンカーがとれたとき、2回だけやりました。

――木のないときのアンカーは。
スクリューを打って、Vスレッドをつくって。頑丈な氷であれば2本、あるいは予備でバックアップで計3本とればいいんですが、一番多いときはスクリュー6本とVスレッド1個つくって。それでも登って降りてきたら、手で簡単に取れてしまう(笑)。氷の効きはとにかく甘かったです。

今回スクリューは17本持っていきました。普通の登攀だったら多すぎる本数ですが、核心(滝の中段)のときは、アンカーで6本使い、中間支点で残り11本すべて使いました。ほぼ垂直の10mぐらいの区間でしたが、1~2m間隔で1本打って、抜けそうになるから、そこに慌ててセルフをとって、もう片方すぐ隣に打って連結させて。

――氷をはがしてロックピトンを打つことは?
想定ではハーケンもカムも必要だと思って、初回は全部持っていきました。ただ、初回敗退時に現場を見て、アンカーをとれる場所がなさそうだったので、次はいらないなと。そういう意味で初回の敗退はいい意味で偵察になり、2回目は装備もかなり洗練されました。多少軽量化もできたし、割り切るところは割り切るといった覚悟もできて。2回目はロックピトンなし、岩用の装備はリンクカム4つだけ。それも結局使わなかったです。

――ハンノキのリスクは、その結氷の甘さが一番ですか。
リスクは2つでした。雪崩と氷の悪さ。氷質は本当に、かき氷にフォークを差しながら登っているような感じでした。雪崩は大小20発ぐらい食らったと思います。ただ、いっぱい受けてると、だんだん法則みたいなものが見えてきます。初回敗退時、滝を見ていて、メインの流路が100%の威力でも、ちょっとずつ脇に外れていけば、100から90、80、70と減ってくることに気づきました。100%の雪崩を食らうとマズいけど、70%の力だったら耐えられるなと。また、一回雪崩れると、そこから何分間は起きないといった周期も見えてきました。

あと、ハンノキのリスクは、逃げられないこと。4ピッチ目以降はロープ1本しかないので敗退できません。80mロープでは一度に40mしか降りられないし、降りるだけの氷がない、支点がつくれないですから。

――そこで行くか行かないかの逡巡は。
それはなかったです。今回、恐怖心はまったく湧きませんでした。恐怖心の入る隙を与えると、体が硬直して心拍数も上がるし、呼吸も浅くなる。ルートに飲まれることはなかったですね。氷の状態、雪崩のこと、一手一足、ずっと目の前のことに集中していました。

――登攀技術よりも、雪崩や甘い結氷といった悪条件が試される今回のトライを振り返って。
本当はノーテンションで全部フリーで抜ける予定だったんですが、できなかったんです。コンペティターなので、登れればなんでもよいとは思えない。そういう意味で、自分のなかのかっこいい登攀とは程遠かった。でも、それが今の自分の限界ですし、そういう弱い自分を受け入れて、そこからまたどこまで強くなれるかなと……。そういう意味では少しだけ成長させてくれた登攀でした。

――最後に今後の目標など。
まずはワールドカップでメダルを取ることですが、海外で狙っている課題もあります。

亡くなりましたが、ダーフィット・ラマのようなクライマーが憧れです。コンペでも実績を残し、一方で、フリーもアルパインも高所もアイスも、すべてに強かった。真に強い人は、グレード的な強さだけでなく、心の余裕というか、やさしさを持っていると思います。自分も、そんなマルチクライマーをめざしています。

備考:ハンノキ滝 冬季登攀の歴史
試登 1985年2月26日   宮崎秀夫、新井利之(JMCC)
初登 2014年2月9~11日 宮城公博・藤巻 浩

門田ギハード
1988年東京生まれ。
2013年、25歳でクライミングを始め、その後、アイスクライミングに注力。
2016年にW-CUP初参戦以降、世界のコンペシーンで活躍中。
2018年には蔵王・仙人沢「Fun Chimes」ほか、ナチュラルアイスでも実績を上げる。

*『ROCK&SNOW』092夏号は、2021年6月7日(月)発売!

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