- アルパイン
K2西壁、平出・中島ペアの救助活動打ち切り
K2西壁をねらっていた平出和也と中島健郎が、2024年7月27日、西壁の標高7000m地点で滑落した。しばらく安否が不明だったが、3日が経過した30日の時点でもふたりに動きが見られないことから生存は絶望視され、救助活動の打ち切りが決まった。
平出は現在45歳。2016年から中島とコンビを組み始め、2017年にシスパーレ(7611m)北東壁を新ルートから成功したことで、翌年のピオレドールを受賞。ふたりは2019年にも、ラカポシ(7788m)南壁をやはり新ルートから登頂し、この登攀でもピオレドールを受賞。2008年に谷口けいと登ったカメット(7756m)南東壁で初めて受賞して以来、平出は日本人最多となるピオレドール3回受賞者となった。
*海外では、ポール・ラムズデンの5回が最多で、マルコ・プレゼリの4回が続く。平出はミック・ファウラーと並んで、歴代3位となる3回受賞者。
一方、中島は現在39歳。学生時代からヒマラヤに出かけ、卒業後は竹内洋岳の専属カメラマンとして高所の経験を積む。同じく山岳カメラマンでもある平出とコンビを組んで以降は、日本の最強コンビとして世界でも広く知られるようになった。
K2西壁(西北西壁)は、8000m峰に残された課題のなかでも、マカルー西壁と並んで最高レベルのひとつと目されるもの。1980年代から90年代にかけて、ヴォイテク・クルティカが4回にわたって執拗に挑んだものの、ついに登ることはかなわなかったという歴史をもつ。2007年に、ロシア隊が極地法で右手のバットレスにダイレクトラインを拓き、登頂に成功しているが、クルティカらがアルパインスタイルでねらっていたラインは長年未踏のまま残されていた。
平出と中島が目指したのはまさにそこ。クルティカが「sickle(鎌)」と呼んだ、ゆるくカーブしたクーロワール状のラインだ。壁自体の標高差は2000m強で、傾斜がかなり強く、岩のセクションが断続的に現われるため、ロッククライミングのスキルも重要になる。地形からして落石や雪崩の危険も高いと見られ、スピードも要求される。それを7000mから8000m超の高所で行なわなければいけない、非常に難易度の高いルートだ。
ふたりが滑落した原因は不明だが、判明している状況からすると、ビレイポイントの破壊、もしくは、岩雪崩に襲われたことなどが考えられる。現場の厳しさからして遺体の回収は不可能で、今後、同ルートをトライする人が現れるかどうかもわからない。ふたりの関係者はもちろんのこと、日本と世界の登山界にとっても大きな損失となってしまった。
ティリチミール北壁終了後のふたり (株)石井スポーツ提供