菊地亨が超・怪人ダンス 5.14a/b を初登

二子山 広場エリアにある「怪人ダンス」 にシットダウンスタートからの5手を追加したプロジェクトをプリクリップせずにリードルートとして初登する事ができました。

グレードは、従来の「怪人ダンス」の5.13cを基準として考え、暫定ですが5.14a/bとしておきたいと思います。核心部の二本指ポケットホールドが自分には狭くて上手く指が収まらず、そこがとても難しかったのですが、指細めで丁度よくハマるクライマーだと易しく感じる可能性が高いと思います。

再登者がもし出た場合にはその意見で修正されていけば良いと思っています。

「怪人ダンス 5.13c」
2021年4月にボルト2本をプリクリップで登る「怪人ダンス」のトライを始めて2021年5月に完登。

「怪人ダンスLow Start 5.13d」
2021年10月からスタート位置を従来のスタートよりも少し下にある顕著な縦ガバとして、さらにプリクリップせずにリードルート化を目指してトライを始め、2021年12月6日完登。

「超・怪人ダンス 5.14a/b」
2021年12月から「怪人ダンスSDプロジェクト」としてトライを始めて、2024年3月4日に完登。

最初の「怪人ダンス」トライ開始から数えるとトータルで2年11カ月かかってやっとやっと、登ることが出来ました。(長かった……)二子山が染み出しで登れない時期を除いて、10月後半~5月くらいの間は月に3日ほど二子山に通っていて、年末年始や悪天候や諸事情で行けない事もあるので、ザックリ50日間くらいはこのルートに費やしたかと思います。トライ回数は1日に3回の時もあれば5回の時もあり、これもザックリですが150回~200回以上?という感じだと思います。

遡る事20年数年前、クライミングを始めて2~3年の頃に初めて二子山に行くようになり、実は当時からこの怪人ダンスSDスタートの可能性には気づいていたのですが、その時の力では「怪人ダンス」だけでも登るには全くの力不足で、一緒に通っていた当時の仲間内では「ここから登れたらスゴイよね~」という冗談のネタ扱いというものでした。そこから考えると、このルートを登るために20年以上かかったという言い方もできるかもしれません。

56歳という自分の年齢的に考えても今後はこれを超えるようなクライミングは二度とできないんじゃないかと今は思っていて、これまでの集大成と言えるような、今の自分に出せる最高のパフォーマンスを発揮出来たことに、これ以上ないほどの達成感に満たさると同時に、無事に怪我なく終われた事に本当に安堵しています。

このルートのムーヴの核心は従来の「怪人ダンス」に合流してからになると思いますが、クリップ動作そのものもとても難しく、失敗するとグラウンドフォールによる怪我のリスクがかなり高まるので、メンタル的な厳しさも加わり、さらにビレーヤーにもかなりの緊張を強いる内容となっています。

約2年間も難しいビレーを続けてくれて、文句も言わずに付き合ってくれた最高の仲間である日野雅之氏には、特に厚く感謝申し上げます。

ボルトの打ち足しや打ち替えなどは行っておらず、おそらく1990年代前半に「怪人ダンス」初登者の島田貞夫さんが打ったと思われるオリジナルのカットアンカーそのままで登れたことも何だか感慨深いところです。怪人こと島田貞夫さんとは面識はありませんが、私が30歳でクライミングを始めた1998年頃にはすでに「乾杯」5.14bや、この「怪人ダンス」5.13cの初登者としてトポに名前が載っていたり、大工ビデオの中では30kgのザックを背負ってプライベートウォールでトレーニングする姿を見ていて、当時からずっと大尊敬する憧れのレジェンドクライマーでしたので、間接的とはいえこのような機会を与えて下さった事を、この場をお借りしてお礼申し上げたいと思っています。

これを読んだどなたかで、もしも島田さんにお会いになる事があれば、この事をお伝えいただけたら嬉しいです。

超・怪人ダンス連続写真。下部から5枚目までがオリジナルパート

 

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