Movie review|パタゴニアフィルム 「 希望の山 The Scale of Hope」

2022年12月、パタゴニアフィルムから「希望の山」という映像作品が公開された。長年にわたり、環境問題に積極的に取り組むパタゴニアが、「地球を代弁する」という位置づけで制作する無料作品の公開を、心待ちにしている人も多いだろう。

このストーリーでは、アイスクライミングに取り組みながら、気候変動のシステム変革を目標に活動する一人の女性の姿が、1時間あまりにわたって描かれている。

主人公の名は、モリー・カワハタ(以下モリー)。第二期オバマ政権で、ホワイトハウスの気候政策アドバイザーを務めた後、企業やブランドに向けた、体系的な気候変動対策に関するコンサルティング会社を立ち上げ、脱炭素化社会の実現を目標とした活動を続けている。

高校生のころから、バラク・オバマの支持者として活動してきたモリーは、大学卒業後ホワイトハウスに採用され、気候チームの一員となる。ところが、勤務に就いてわずか2日目に、彼女は医師から「双極性障害」の診断を受ける。双極性障害とは、ハイテンションで活動的な躁状態と、憂うつで無気力なうつ状態を繰り返すこころの病気。10代の半ばで症状に気づいていたものの、治療することなく長い年月を過ごしていた。

仕事は時間を問わず押し寄せ、寝る間もないほどの激務。多くのスタッフが1年で辞めていくなか、彼女は薬で症状をコントロールしながら、オバマ氏の任期が終了するまでの4年間を勤め上げる。

ワシントンでの生活のなかで、モリーは山と出会う。年に1度の議会の休暇を利用して出かけるクライミングが、忙しい環境で心のバランスを保つ助けになったのだろう。

そして、ホワイトハウスでの仕事を終えた彼女は、より険しく高い技術が求められるアラスカを目標に定め、新しい仕事の合間を縫って、アイスクライミングのトレーニングのために、氷壁で長い時間を過ごすようになる。

このストーリーには「気候変動」、「アイスクライミング」、「こころの病」というテーマが含まれている。一見するとバラバラに思えるが、モリーは、自分の人生に関わる3つのパーツの間に共通点を見出し、それを繋ぎ合わせることで、それぞれの闘いに立ち向かおうとする。

モリーは、現在の環境を守るための運動が、間違った方向に進んでいると考えている。化石燃料を使い続けることを前提に、節電やリサイクル、ハイブリッドカーや省エネエアコンの導入などを人々に勧める方法は、気候変動の責任や負担を末端の消費者に押し付けるだけで、根本的な解決にはならない。持続可能な生活をすることは素晴らしいが、根本的な問題解決のための唯一の方法は、電力網を完全に脱炭素化し、交通を電気化すること。そのためには、化石燃料に依存する現在のシステムを積極的に改革する、政治や政策を手に入れなければならない。

改革のための政策には国民の賛同が不可欠だが、危機的なことばを並べて使命感をあおっても、生活からかけ離れた遠い世界の話に、多くの人が興味を示し行動することはない。身近な体験に置き換えて伝え、行動の先に明るい未来があること、目標に向かって着実に進んでいることを伝えることで、人々の行動を引き出すことができる。このような考えから、モリーは気候変動へのアプローチの手段として、「希望」を利用することを導き出した。

目標をアラスカと定め、アイスクライミングのトレーニングを重ねるモリーは、女性ガイドのキティ・キャルフーンに協力を求める。キティは、アラスカやエベレストなどでの豊富な経験をもつアルパインクライマー。アラスカを目指すモリーに、技術のみならずアルピニズムに必要な知識や思考を伝え、夢の達成に力を貸すと約束する。

アラスカ遠征に同行するキティ。モリーは、アラスカの氷河に降り立った途端、体験したことのない不安を感じる。憧れのアラスカ、登りたい気持ちはあるのに気が乗らない。ベースキャンプから24時間をかけて往復するツアー当日、タイミングを計って早朝にスタートするも、悪天候、積雪、シュルント、チリ雪崩と悪条件が重なる。軽いパニック症状、思うように動かない体、荷揚げに手間取り上がらないスピード。迫りくる吹雪を考えて、当初の目標に届かないまま2人は途中で引き返す決断をする。

挑戦が成功に終わることはなかったが、モリーは、このアラスカ遠征は、失敗ではなく初めの一歩だととらえている。成功した未来を具体的にイメージする「希望」が、気候変動の解決に必要だとモリーはいうが、それは、登り切るという具体的なイメージを持って挑戦するクライミングにも共通する。登れる可能性のない山には、誰も登らない。登れないイメージを抱えたまま、いいパフォーマンスができるわけもない。クライミングも、「希望」があるから、足を進めることができるのだ。

「希望」を利用するという考えは、こころの病を抱える彼女が、常に自分の心と向き合い、闘うことを強いられるなかで得たもの。病がなければ、この考えにたどり着かなかったかもしれない。双極性障害という完治の難しい病気と闘いながら、希望が人を動かすと唱える彼女には、他人には想像できない不安や痛みがあるだろう。それでも、「登ろうとしているのは決して高すぎる山ではない」、「実現できる未来がそこにある」と人に希望を与え続けることで、「すべての人が気候変動運動に関わるようになる」という目標に向かって闘っている。同時に、そうすることで、終わりの見えない病との闘いに、希望を見出しているのだろう。

アラスカ遠征の途中、ギアの用意をしながらモリーとキティが、気候変動問題について語るシーンがある。ミニマリストで持続可能な生活を良しとするキティが、モリーの考えに「気候問題に取り組む候補者に投票しつつ、自分は省エネしないというのは、矛盾しているし、偽善ではないのか」と疑問を投げかける。そして、「いつも同じ意見の人といるだけでは成長しない。物の見方が違う人と協力したときだけ、人は成長する」と。キティの存在が、このストーリーの本質を深く現していると感じる。

ストーリーの舞台はアメリカで、環境問題の扱いや政治への関わり方、選挙制度など、日本と違う点も多い。しかし、地球が抱える問題は、国や地域に関係なくすべての人の身の回りに間違いなくあり、同じスピードで時間が経過している。

こころの病気は外からわかりにくく、モリーの苦しさを他人が本当に理解するのは難しい。けれども、命の洗濯といって山に出かけ、失敗し励まされながら上達し、遠征直前まで仕事の段取りに追われるモリーの姿は、どこにでもいる普通のクライマーと何も変わりはない。そう考えると、モリーがたどり着いた「希望」の利用法は、だれにでもどんな問題にも、応用できるものなのではないかと思える。登り続ければ、きっとゴールはそこにあるのだ。

(小川郁代=文)

パタゴニア フィルム「希望の山」

  

元ホワイトハウスの気候変動問題アドバイザー、モリー・カワハタはアラスカ山脈への遠征の準備を進めながら、気候危機を新たな視点で語ろうとしている。「私に何ができるのか?」という彼女が好きな問いかけと、その問いへの驚くべき答えとは。
2022 / 67 分
https://www.patagonia.jp/climbing/

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