山野井泰史を描いた映画『人生クライマー』 武石浩明監督がインタビューで語る制作秘話

2021年11月、ピオレドール(金のピッケル)賞の生涯功労賞を56歳で受賞。今も現役で岩を登り続ける日本が誇る世界的アルパインクライマー、山野井泰史。

そんな山野井の姿を追ったドキュメンタリー映画『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』が11月25日(金)から全国劇場で公開される。1996年の「マカルー西壁」で山野井に密着、それから26年後に彼のクライミング人生をひとつの作品としてまとめ上げた武石浩明監督に、制作への道のり、裏話を聞いた。

マカルー西壁での山野井泰史と妙子。『人生クライマー』より

――本作で映し出される山野井さんが挑戦するマカルー西壁のシーン。山野井さんは世界最難ともいわれるこの課題に残念ながら敗退するわけですが、26年も前にこんな映像が撮られていたとは知りませんでした。

その映像は、もともとはTBSの『報道特集』というニュース番組でやったんですよ。報道のど真ん中のごりごりのニュース番組です。「ソロで世界でいちばん難しいヒマラヤ最後の課題に挑む」というようなことを、それをまったくわからないテレビ局の人たちに説明しました。「こんな企画、絶対死んじゃうじゃん。ダメだ」みたいなところから始まって、「いや、これニュースなんです」と説得して、なんとか取材に漕ぎつけました。そして放送をしたのが26年前、1996年です。

――武石監督は立教大の山岳部の出身で、TBSに91年に入局。ご自身も過去ヒマラヤに遠征し、現在も母校山岳部の監督をされている。やはり学生時代から山野井さんに注目していたんですか。

はい。僕も大学に入ったころから『岩と雪』(山と溪谷社)を熟読して、「ああいう考え」にどっぷりはまっていたので(笑)。山野井さんのことは当然目にしていて、「すごい人がいるんだな」と思っていました。社会人になってからもチョモロンゾ(7816m)のチベット側未踏ルートの初登頂をやって、その3年後に山野井さんの取材でした。ずっと自分も山をやりながら、「自分のかなわないぐらいすごい人を取材したい」という制作者としての気持ちも出てきて、やるなら山野井さんだなと思ったんですね。

――それが『報道特集』での「ニュース」につながったのですね。

そうです。それはまさに、大遠征隊みたいなものじゃなく、ソロの、今の登山の世界の最先端はこういう登りなんだ、と見せたいという気持ちがあった。だから、山野井さんのマカルー西壁挑戦を取材したわけですが、それが思いもよらない結果になった。山野井さんが高校時代から思い焦がれてきた最大の目標にコテンパンにやられてしまった。トラウマになるほどのショックを受けていた。僕らもそのとき、山野井さんのズタボロになっている姿を見ていますから。気まずいところ、山野井さんも見せたくないものを見せちゃった、みたいな。だから放送後は今後もう一切、見せないということになった。

――それがいつから本作につながったのでしょうか。

山野井さんの心のなかにはずっとあのマカルー西壁の敗退があるのが僕はわかっていました。いつかもう一回、描くチャンスがないかなと思っていたのはたしかです。僕もあのマカルー西壁の借りを返してやる、と。2002年のギャチュン・カンはひとつのタイミングだったんですが、山野井さんと一緒に行ってるわけでもないじゃないですか。すごく不謹慎な言い方だけれども、指を切断するときに「撮らしてくれ」って聞いたんです。「いやです」って言われました。それでも、やっぱり山野井泰史をもう一度、描きたいというのはずっと思っていました。当時は山野井さん自身もそのタイミングじゃないと思ったのかもしれない。そして、去年(2021年)、今だったらと閃いて、頭のなかでもイメージができたので、山野井さんにお願いをして作品につながったのです。

――山野井さんに初めて出会ったのは。

入局して最初はワイドショーを担当しました。1年目の新米ときに、ちょうどアジア初開催となるフリークライミングのワールドカップが東京・代々木の国立競技場の前で行なわれました。そのフリークライミングを企画にして番組を作ったんですよ。山野井さんはそのワールドカップの足場を組むアルバイトで会場に来ていて。「山野井さんだ!」と思って挨拶をしました。そのときはどんな印象だったか、もうはっきり思い出せませんが、最初はつっけんどんだったような感じだったのが、家に遊びに行っていろいろ話してくうちに親しくなったという記憶ですね。

――作品のなかの山野井さんと普段の山野井さんとの印象の違いはありますか。

山野井さんは話題によって変わるんですよ。釣りの話とか、日常の会話では冗談もいうけれど、自分のクライミングの話になると、もちろんとんがってる部分もある。普段はほんとうに気さくで、気遣いをする人。サービス精神がありすぎるぐらいです。逆に、そういう人だと取材するのが難しいんです。本来のその人ではなくなってしまうので。大人数の取材班で知らない人がいたりすると、逆に普段の山野井さんでなくなっちゃうので、それは自然体になるようにやるのはたいへんでした。

――山野井さんは武石監督をすごく信頼している、映像を撮ってもらうなら武石監督しかいないと聞きました。長年の付き合いのなかで培われてきたものがあるのでしょうか。

長年の、というよりも、価値観をわかってくれていると思われているのだと。それが大きいと思います。

――伊豆の岩壁での登攀シーンがありますが、あれは武石監督自らカメラを持ったりしているのですか。

インタビュー以外のシーンはほとんど僕が撮っています。それは、山野井さんの普段の姿を自然に描きたかったので。あと、もちろん危なくて、カメラマンは行けないし(笑)。『フリーソロ』や『アルピニスト』など、海外のクライミングのドキュメンタリー作品は大々的にお金をかけて、取材チームを組んで、上で何人もぶら下がって…みたいにやって撮っています。山野井さんはそういうふうにやるのはいやだと思います。(アクションカメラの)Go Proをヘルメットに付けるのもいやだって言っていましたから、それも一回もお願いしたことがありません。

マカルー西壁に向かう山野井泰史。『人生クライマー』より

――俳優の岡田准一さんをナレーションに入れたのは、一般の人にも興味をもってもらえるように、というところからでしょうか。

言葉は悪いですけど、映画を売るために岡田准一さんにするという見方もできるじゃないですか。だから最初は少しいやだなと思ったんです。山野井さんもよく思わないだろうな、と。そんな半信半疑でナレーションに入ったのですが、結果としては大正解でした。岡田さんは登山が大好きだということもあって、とても作品に合っているんですよ。岡田准一さんだからというのではなくて、岡田准一さんがいちばん合っていたと思う。

――本作はタイトルどおり、山野井さんのクライミング人生を描いているわけですが、いちばん見てほしいというのは作品のどこでしょうか。

山野井さんの口から紡ぎだされる言葉が、ものすごく重みがあっておもしろいです。それをいろいろな映像に重ねあわせて編集しているわけですが、映像というよりも彼の言葉をちゃんと聞いてほしいですね。インタビューでは同じようなことを何遍も聞くと本人は臨場感をもって答えられないじゃないですか。だから、この質問はこのときしかしないとか、慎重に考えながら話を聞きました。基本的には客観的な感じで見られるように、なるべく自然体の山野井さんを撮るように努力したつもりです。

――山野井さん自身は本作にどんな感想をもたれていると思いますか。

なんとなくですが、山野井さんは「この作品がすばらしい、おもしろいです」と、自分が描かれている作品を自分でほめたくないというのがあるかと。もちろん僕は、満足してくれていると考えています。やはりマカルー西壁のトラウマを人生のなかでちゃんと整理して、あれが価値あるものだったというのを描けたのはすごくよかったと思います。ピオレドール(生涯功労賞)授賞の理由ではいろいろな失敗もちゃんと評価していて、マカルー西壁もそのなかに入っていました。(山岳ジャーナリストの)池田常道さんも言っていましたが、失敗で鍛えられたのが山野井だ、と。だから成功だけを見ていたらダメだと思うんです。

――どういった人に本作を観てほしいと思いますか。山好きの人だけではないのでしょうか。

『人生クライマー』は、ほとんど僕の個人的な情熱に突き動かされて作った作品ですが、多くの人の助けを借りてかたちにすることができました。本作は山野井さんを知らない人に観てほしいですね。世の中には山野井さんのファンはいっぱいいますけど、知らない人のほうが大半なわけですから。そういう人たちに作品を通じて山野井さんに興味をもってもらえたらと思います。

(2022年11月9日、東京都内にて収録)

『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』
11月25日(金)より、角川シネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル梅田ほか、全国劇場にて公開
2022年/109分/TBSテレビ製作/KADOKAWA配給
https://jinsei-climber.jp/

 

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