安全か伝統か。ボルト問題に揺れるヨセミテ、ハーフドームから。「スネークダイク」ボルト打ち足し事件<後編>【『ROCK&SNOW』110号より】

文・写真提供=木織隆生

変わるべきはルートか

さて、このスネークダイクですが、私も2013年に妻と娘の3人で登りました。娘は当時小学3年生でした。ランナウトは噂どおりの強烈さで、風が吹くたびにバランスを崩しそうになって、20mフォールが頭をよぎり、ドキドキしながら登ったのを覚えています。しかしその一方で、ハーフドームの広大な花崗岩のフェイスを、家族と一緒にどこまでも登り続ける時間というのは、とても自由でとにかく楽しかったことも覚えています。怖さと楽しさ、緊張とリラックスが共存する非日常的な世界。でもそれがクライミングであり、スネークダイクはその体験をクライマーである私たちに平等に与えてくれます。

スラブの大海原に続くダイク(岩脈)を行く

クライミングには必ずリスクが存在します。与えられた環境や直面する状況のなかで、そのリスクが最低限になるように工夫するし、そのリスクを下げる能力を日々の努力で育んでいくことが、クライミングをする者としてとても大事なことです。そこまでやっても下げきれないリスクは、「受け入れるか、それとも立ち去るか」の判断になります。その姿勢が自分の登りにフェアであることだと思います。

だからこそ、そんなリスクを受け入れて登りきれたときに、そのルートを通して先人たちとの体験とつながることができるし、それは同時に未来のクライマーたちとつながることでもあると思うのです。時空を超えた体験の共有は、クライミング特有の魅力の一つです。

スネークダイクは、初登から60年もの間、終了点以外にボルトが打ち足されることがなく、世界中の多くのクライマーたちが、そのあるがままのスネークダイクを登ってきました。つまりクライマーたちは、自身のクライミングを鍛錬し、大墜落のリスクをコントロールできるレベルになってスネークダイクと向き合ってきたわけです。リスクに対して自信がなければ登らなければいいし、どうしても登りたければ自分の能力を上げるしかありません。変わるのは自分であり、ルートではありません。

ジムでクライミングを始める人がほとんどのこの時代に、重大事故につながるような冒険性は、グレードの低いスネークダイクにはいらない。ボルトが増えて安全になればそれだけ多くの人たちがスネークダイクという素晴らしいルートに取りつけるわけだから、それはクライミング界にとっていいことだ。とボルト追加に賛成する人たちは主張します。でもボルト追加でお手軽なイメージがもたれて、クライマーとしての準備が不十分なままルートに取りつく人が増えるほうが、事故のリスクは逆に高まるのではと思います。

スネークダイクはボルトルートですが、スポーツクライミングルートではありません。取付までのアプローチは片道4時間、標高差約800m以上のロングハイキングです。そしてそこからクライミングに約4時間。下りにさらに4時間。順調にいっても12時間以上の行動になる山岳クライミングです。そして季節によっては天候の変化にも注意が必要です。わたしたちが登ったのは9月初旬でしたが、日によっては午後から雷を伴う夕立も起きていました。これがあのプロテクションのない広大なスラブを登っている最中だったら悪夢でしかない。しかも8ピッチ目から上は傾斜の強い岩の坂を延々と300m歩き続けなければならない。濡れた岩で足を滑らせて転倒しようものなら、どこまで転がっていくのか想像することすら恐ろしいです。

グレードが簡単で、ボルトルートだからと、スポーツクライミング気分で安易に取りついていい場所のクライミングではないのです。濡れた状態も想定して歩きの部分にもボルトを打つのか? 標高も高いので雨に濡れた体は日が暮れると体温を奪われることも間違いない。だからといって避難できる小屋でも建てるのか? 追加ボルト賛成派のいうボルトを打ち足すということはそういうことと本質的に変わらないのではないでしょうか。

「白か黒か」を超えて

また打ち足すことに賛成する人たちの多くは、追加されたボルトが冒険性を欠くというのなら、伝統派はクリップしなければいいじゃないかという意見が多いのですが、それは本来のあるがままを登る体験とまったく違う。逃げ場が用意されている環境はすでに別のものなのです。クリップしようがしまいが、ボルトが打ち足された時点で元のルートとそこから得られたであろう貴重な体験はもう消滅してしまっているのです。そしてそれはこれから登ろうとしていた世界中のクライマーから、その機会を奪ったことにもなるのです。

多様性を重要視する現代ですが、いろいろな人に対して良かれと”信じて”行なうその行動が、長い間人々が受け継いできた貴重なものを本質的に消滅させてしまう結果になりうることを想像してほしいと思います。

こういう議論は「白か黒か」の話になりがちなのですが、わたしはそれ自体が間違いなのではと思っています。事故が多発すれば、エリアの閉鎖だってありうる時代、できるだけ事故は起きないに越したことはない。エリアやルートによっては安全性の面からボルトの打ち足しを検討してもいいと思う。ただヨセミテのスネークダイクはそういうルートではない。グレーでいいじゃない。

歴史的にも貴重なクラシックルートは、クラシックのまま楽しむ価値観を大切にしてほしいし、そういうルートはそのままにしてほしいと願います。これまで世界中のクライマーによって登られてきた分厚い歴史をもつスネークダイクのようなルートは、まさにクライミング界の世界遺産。こういうルートはルート自体がもう存在価値を生み出しているのです。

ではその「価値」とはいったい何なのか。

スネークダイクを登った経験のあるクライマーが、その体験を通して感じたことや考えたことを語ることで、またスネークダイクを登っていない、登りたいと思っているクライマーがスネークダイクへの思いを語ることによって、その「価値」が「声」となって、人々に聞こえていくものではないのかなと思っています。知らないことを知る機会が増えることで、想像の幅は広がっていく。想像力をもつ人々が増えることで、誤った方向に進む力を軌道修正できると信じています。そんな世界はきっと良い世界。

あなたの「わたしのスネークダイク」を聞かせてください。

続報:6月30日、climbing.comが「スネークダイク」に打たれたボルト16本すべてが撤去された旨を報じた。ひとまずスネークダイクの精神は守られた模様だ(編集部)。

プロフィル

きおり・たかお CRUX大阪

木織ファミリーのスネークダイク。ハーフドームを背に

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