バプシ・ツァンガール、エル・キャピタンのFreeriderを一撃

訳=羽鎌田学

11月下旬に入ったばかりの週末、オーストリア人女性クライマー、バルバラ・ツァンガールが、カリフォルニア州ヨセミテ国立公園のエル・キャピタンにあるFreeriderの歴史的なフラッシングに成功した。

これにより、バプシは、エル・キャピタンのルートを初めてのトライで一度もフォールすることなしにフリーで完登した史上初のクライマーとなった。彼女は、一度もフォールせずに、いわゆるフラッシュでFreeriderを登ったのだ。

1000m、34ピッチのこのビッグウォール・ルートは、1998年にドイツ人クライマーのフーバー兄弟、アレクサンダーとトーマスによって初めてフリーで登られた。そのFreeriderは、基本的に、エル・キャピタンの左側にあるSalathé
Wallのより簡単なバリエーションと言える。このルートは、2017年に米国人クライマー、アレックス・オノルドが大胆なフリーソロ(ロープなし)で登ることに成功したことで、世界的な注目を集めた。

過去には平山ユージ(※)、レオ・ホールディング、ピート・ウィタカーなど世界的に有名なクライマーを含む複数人がFreeriderのフラッシング目前まで迫ったが、全員がトライ中に1回以上のフォールを喫している。

バプシは、ノーフォールでの初トライ完登により、ビッグウォール・クライミングの新たなベンチマークを打ち立て、一方、彼女のクライミング・パートナーであるヤーコポ・ラルケルは、ボルダープロブレム・ピッチで一度フォールし、同ルートのフラッシュをあと一歩のところで逃した。

バプシの完登は、1993年に伝説の米国人女性クライマー、リン・ヒルが達成したエル・キャピタンのThe
Noseフリー完登という驚くべき偉業を思い起こさせるものである。当時、一女性クライマーが、世界トップクラスの男性クライマーたちが渇望し、彼らの度重なる挑戦をはねのけていたエル・キャピタンのフリー完登を史上初めて達成したのである。

Freerider完登後、バプシは今回のクライミングについて次のように感想を語った。

「最初に言いたいのは、私は本当に、本当にラッキーだったということです。ルート上には私たちと同時期に登る他のクライマーはほとんどいませんでした。天気予報は悪そうでしたが、なんとか天気は持ちこたえ、コンディションは実に良く、私たちが登っていくにつれて全てがうまくかみ合っていったようでした」

「ヤーコポは本当にアンラッキーでした。彼はもう少しで全てのピッチをフラッシングできるところでした。彼は私より先にボルダープロブレム・ピッチをリードしたのですが、アンダーホールドを正確に目視できず、結果として有名な空手キック・ムーブでフォールしてしまいました。その後、彼は2度目のトライですぐに同ピッチをレッドポイントし、それ以後は一度もフォールしませんでした。私は、ヤーコポのおかげで、核心についてより多くの情報を得ることができ、なんとかそのムーブをきめることができましたが、実は、なぜそこで落ちずに済んだかは、まだよくわかっていません」

「私たちは、フラッシングを狙って、意図的にFreeriderを残しておいたわけではなく、ただ偶然にそうなったのです。以前、エル・キャピタンの中央と右側の壁にある何本かのルートを登ったことはあるのですが、Golden Gate、Salathé、Freeriderなど、左側の壁にあるルートは登ったことがありませんでした。モンスターオフィズスを前に、いつも少し腰が引けていたのです」

「2019年にThe Noseをフリーで登った後、私たちの友人で、当時ブラックダイヤモンドで働いていたコリン・パウィックがFreeriderにトライしてみないかと提案してきたのですが、正直言うと、私たちはそれについてあまり真剣に考えませんでした。単にそのアイデアの実現が、あまりにも不可能に思えたからです。そうは言っても、私は昨年2023年11月にララ・ノイマイヤーとEl Corazónを登った時、Freeriderと共有するピッチを登らないようにして、スタートもFreeriderの下部ピッチとなっているFreeblastではなく、Muir Blastからのスタートを選択しました。ですから、その時点で、すでに近い将来の可能性としてFreeriderのフラッシングが念頭にあったのかも知れません」

「それでも、フラッシングでの完登達成は、非現実的に思えました。今シーズンの目標は、どこまでやれるかを見ることだけでした。あまり成果を出せないのではとも考えていました。エル・キャピタンの問題は、紙の上では簡単に見えるピッチでも、事実は決して簡単ではないということなのです。実際、エル・キャピタンには簡単なものなどありません」

「今回のヨセミテ・ツアーでMagic Lineを登った後、モンスターオフィズスを登るチャンスを無駄にしたくないのなら、そのために特別なトレーニングをする必要があることに私たちは気づきました。そこで、Generator Crack、Twilight Zoneなどのオフィズスだけを登って4日間過ごし、このスタイルのクライミングに少しでも慣れようとしました」

「実に大変でした!モンスターオフィズスのピッチは60mの長さで、40mほど登ったところで手足がつり始め、息切れがしてきました。もう落ちてしまうと思いましたが、その時、アレックス・オノルドが言っていたことを思い出したのです。『つらくなってきたら、体を傾けて左足をしっかりジャムで固定して、少し休むといい』と。数日前に偶然カフェで彼に会って、ちょっとしたアドバイスをもらっておいて、本当に助かりました」

「1日目は、私たちは交代でリードしながら、Freeblastのスラブを登って、ハートレッジを通過し、ホローフレークの手前のピッチまで進み、そこで最初のビバークをしました。2日目は、モンスターオフィズスを越えてエルキャップスパイアまで進み、さらに2ピッチ登って、そこにロープをフィックスして、2回目のビバークのためにスパイアに戻りました」

「3日目は、先ずは前日にフィックスした2ピッチをユマーリングしてから、ラウンドテーブル・レッジまで進み、もう1ピッチ登ってロープをフィックスしてから、レッジで壁の中での最後の夜を過ごしました。そして4日目には、前日にフィックスした1ピッチをユマールで登り返してから、最後の3ピッチを登ってルートの終了点に到達しました」

「事前の取り決めでは、モンスターオフィズスは私がリードして、核心のボルダープロブレム・ピッチはヤーコポが最初にリードすることにしていました。そのボルダープロブレム・ピッチは、ヤーコポに続いて私もリードで登り、その後は、それぞれのピッチを交代でリードしながら登りました」

「ボルダープロブレム・ピッチを登り終えた時、私は一層緊張しました。すべてが終わったとは到底思えませんでした。それどころか、まったくその逆でした。既にルート取り付きでFreeblastを登る時も緊張していましたが、その時、ボルダープロブレム・ピッチも越え、なんとか完登の目途も立ってはきていました。しかし、有名なエンデューロコーナーがまだ私たちの頭上にあり、それは強烈にパンプするピッチでした。そして、今までの経験から、簡単なピッチでさえ実に厳しくなる場合があることも知っていました。終了点まで、まだまだ戦いは続いていたのです」

「ヤーコポと一緒に登った他のすべてのルートと同様に、今回のクライミングもチームとしての成功だったと私は考えています。彼がいなければ何もできなかったでしょうし、私たちがなんとかうまくやり遂げることができたのも、ひとえに彼のおかげだったと、彼に心から感謝しています」

「30ピッチのうち1つも登ったことがなく、多くはオンサイトでしたが、それでもスタート前にルートについて多くのことを知っていました。私たちより前にこのルートを再登したクライマーをたくさん知っていたので、彼らからできるだけ多くの情報を得ようとしました。もちろん、YouTubeで動画を何本か見たこともありました。アレックス・オノルドの映画「フリーソロ」が公開された時には、映画館に行って見ました。ですから、私たちのクライミングをオンサイトに近いものとして定義することはできないでしょう」

「私のクライミング人生でこれまでに直面したなかで最大の精神的挑戦だったことは間違いありません」

※平山ユージは、2002年の“サラテ・ワンデイ・オールフリー”レッジ・トゥ・レッジ後に、いわゆるFreeriderと呼ばれるラインにもトライし、これを10時間55分で登り切っている。氏自身、ロクスノ18号P25で次のように述べている。「ルートの大半を知っていたからオンサイトとは言わないけど、オリジナル部分を3ピッチですべてオンサイトできた」。速報記事中の記述から受ける印象とは異なり、氏はそもそも最初からFreeriderのフラッシングを目的にはしていなかったのが実情だろう。

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