ピオレドール2023 生涯功労賞
ジョージ・ロウ インタビュー

取材・文=和田 薫(日本山岳会国際委員会委員長)
写真=Piotr Drozdz

2023年のピオレドール生涯功労賞に輝いたジョージ・ロウ。そのジョージに、フランス・ブリアンソンで11月14~16日に行われたピオレドール受賞式後にインタビューを試みた。(カッコ内は筆者による補足)

>> 2023ピオレドール、ジョージ・ロウが生涯功労賞を受賞

どのような経緯で山を始めたんですか。

父が昔からスキーをしていた関係で、私も幼い頃から始めました。それから、叔父(ラルフ・ロウ)は自分の息子たちと私をグランド・ティトンに連れて行ったんですね。それから私たちが住んでいたユタにもいい壁があって登りに行きました。それが私のクライミング人生の始まりだったように思います。

本格的に登ったのは、南カリフォルニアにある大学に移ってからです。当時の街の中心地は交通渋滞も空気もひどかったから、みんな岩登りにでかけていったんです。

ご自身が活躍された1970年代以降と比べて、現在の登山界との変化をどうみていますか?

最大の変化は情報の入手のしやすさでしょうね。今なら衛星電話も気象予報も、なんでもある。グローバルな情報交換も可能だし、瞬時に気象情報も取れるし。家族と連絡も取れますよね。私が遠征に出ていた間は、完全に通信が不可能でした。ベースキャンプに郵便配達を頼むお金もなかったしね。今なら遠征中も家族と連絡がとれるでしょう。

(1983年の)エベレストのときは、みんなでお金を出し合ってチームで郵便配達を頼んだんですよ。でもそれ以外の遠征では難しかった。気象予報もなかった。

1978年のラトックI峰について聞かせてください。

ラトックI峰の北稜は、頂上まであと標高150mというところで敗退しました。本当に長い登攀でした。アルパインスタイルで登れると思っていなかったから、17日分の食料とギアを背負って行った。本当に大きな壁で3000m近かったかな。天気は全然よくなかった。さっきも言ったけれど、今みたいな気象予報があったら状況は違ったでしょうね。

クライミング自体はジャムクラックから、急峻なミックスクライミング、アイスクライミングまで、驚くくらい変化に富んでいた。それからもちろん、登山道具が今とは全然違いましたよね。ピッケルの形状も今とはちがった。でも私たちにはとてもいいチームワークがあった。それぞれの登攀技術も同等だった。(従兄弟の)ジェフ・ロウが一番だったと思うけれども。とにかくすばらしい遠征だった。

ほぼ動けなくなったジェフ(・ロウ)をなんとか下ろした後、頂上まであと10ピッチ分というところで、テントに入ったんです。僕はジェフが死んでしまうのではないかと本気で心配だった。僕とマイケル(・ケネディ)はまだ動けたから、登頂できたかもしれないと今でも思うのだけれど、でもね、あのときのジェフのように体調が悪い人を置いて頂上に向かわず、世話をするべきなのです。

今回、ピオレドールの生涯功労賞を受賞されましたが、ピオレドールの存在自体はどう評価されますか?

いい質問ですね。率直にいうと、私は最近はそんなに最近のクライミングの傾向を追っていないんですよ。読んだりする時間があればクライミングに行きますから(笑)。いずれにしても、ピオレドールが掲げる理念には、環境負荷を最小限に抑え、例えばポーターにお願いするならクライマーと同じ待遇をするなどの配慮をすることなどが挙げられますよね。

こうしたことは、私はとても重要だと考えています。私は最近の大きな、たとえばエベレストなどの商業遠征隊に違和感を持っています。たとえばシェルパがいれば全部荷物も運んでもらえてアイスフォールも安全に通過できるように準備してもらえるわけですよね。それが山を登ることなんでしょうか? 私はそうは思いません。何もかも世話してもらったのなら、それは自分自身でした経験と同じではないでしょう? また、それは、自分以外の他人に危険を負わせることになるわけです。私には、それは公正だとは思えない。正しいとは思えない。

ピオレドールは、最小のパーティで、他人にリスクを負わせず山に行き、環境への負荷を抑えた登山をすることを推奨している。これは、とてもとても大事なことです。

ご自身のクライマーとしての強みを分析すると?

強みは決断力があることで、弱みは、ありすぎることですね(笑)。

最後に、今回、たくさんの若いクライマーたちに会いましたよね。若い世代へメッセージをお願いします。

大切なことは、毎回家族のもとに生きて帰ることです。死んだらその後のキャリア(登山)はないでしょう。山で心臓発作が起きたり何か失敗をすることも、交通事故に遭うように起き得ることです。でも、どの登山からも、安全に帰ってこなければなりません。

受賞式には家族とともに出席し、これまでのクライマー人生を支えてくれた家族に感謝を述べたジョージ。インタビューで話してくれたラトックの仲間についても言えることだが、周囲の人を大切にする人柄がよく伝わってきた。

彼は、受賞式翌日に行われた、現地の若者たちとの岩登りのセッションに、受賞者の中でただ一人参加した。雪がちらつく天気にも関わらず最後まで積極的に登り、現地の若者たちとも交流していた姿がとにかく印象的だった。今年79歳のジョージは、今も山に登り続け、スキーを楽しんでいる。

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