野口啓代インタビュー 20年間の競技人生と これからを語る Part.3

聞き手=植田幹也 写真=小澤信太

小学6年生で2001年の全日本ユースで優勝して以来、実に20年以上も、日本のみならず世界のクライミングシーンを牽引し続けてきた野口啓代さん。これまでの競技人生を振り返っていただき、これからクライミングにどのように関わり活動していくのかを聞きました。※当記事は「ROCK&SNOW094」の記事を一部編集し、掲載しています

 

自分が理想とする野口啓代、周りが期待する野口啓代

Q. 野口さんを見ていつも感じていたのですが、アスリートとして諦めない姿勢を常に見せますし、いつも笑顔でいますよね。このような競技内外でのプロフェッショナリズムにあふれる振る舞いは意識されてのことでしょうか

意識している部分はあります。特に何かがうまくいかないときに人間性のいちばんダメな部分が出てしまうと思っているので、窮地のときこそ振る舞い方には気をつけていますね。

周りからどう見られているのか、自分がどういうプロでいたいのかは考えてきました。

Q. 昔からそのような意識をもっていましたか

今振り返ると責任感は昔から強かったのかもしれません。

初めて世界選手権に出た16歳のときも周りは私にそれほど期待していなかったと思うのですが、自分の中では「日本代表に選ばれたのに予選落ちとか恥ずかしい成績はあり得ない」と変に意気込み、プレッシャーをかけていました。

そこから先ほどお話ししたターニングポイントとなる大会をいくつも通して徐々に変わっていったんだと思います。

2020年ボルダリングジャパンカップ・駒沢 

Q. 振る舞い方だけでなく、自伝『私とクライミング』にも「結果が全て」「気持ちは切り替えずに上書きする」など端々に自身の確固たる思想や哲学が見られました。このようなマインドを参考にした人などはいますか

子どものころからこの人を目標にしたいとか、誰かに憧れたとかロールモデルはいないと思います。ただ、いろんな人としゃべったりアドバイスをもらったりすると、この一言すごく気になるなとか、なぜこのようなことを言われたのだろうと、自分の中で何度も反芻して考える習慣はありました。そのなかで、自分の考え方や振る舞い方を含めて、やっぱりこうなんじゃないかと確信をだんだんと深めていったのだと思います。

あと、考えるということが楽しいのですよね。自分がどう感じたかとか、どう変化したかとか、成長しているなとか。クライミングは登っている瞬間も好きなのですが、この競技を通じて自分の変化を感じるのが楽しいのです。

ただその後、自分が本当にやりたいことは何なのか、この通学や授業の時間は何の意味があるのか、とモヤモヤし続けていました。本当にプロに転向してうまくいくかどうかの確証もなかったのです。

Q. ちなみに東京オリンピックよりもっとずっと前に、まったくコンペで勝てなくなったとしても、自分がやりたいからという理由で選手を続けていたとは思いますか

勝てなくなったらやめていたと思います。実力が衰えてからも挑戦し続けるアスリートの方もすばらしいとは思いますが、私は成長することが楽しいとも感じていたので、優勝が狙えなくなったら競技は続けなかったでしょうね。

それと自分の理想像を追うことと同時に、周りからどう見られるかもとても大切にしています。たとえばすごく弱くなって全然勝てなくなって、周りから「強いときだったら登れたのにね」になどと思われたくはなかったです。

その両方がギリギリかなえられるのが、32歳で挑むことになった東京オリンピックだったということです。

Q. 理想の自分を追うと同時に、「野口啓代とはこうあるべき」と第三者がどう見ているかも重要だと考える、と

両方ありますね。「こういう自分でありたい。理想とする自分に進みたい」という気持ちと、「周りはきっと、こういう私を期待しているんだろうな」という気持ちをどうバランスをとっていくのかは考えています。

引退した今でも、周りから「引退した後に何をするか楽しみ」と直接言われることもありますし、「次は何をしてくれるんだろう」と期待をしていただいていることは受け止めています。

なので、そういった周りからの期待と、自分のやりたいことを両方きちんと吟味した上で考えながら進んでいきたいですね。

 

「ROCK&SNOW094」のロングインタビュー企画では、他にも東京オリンピックを振り返って感じたことや外岩に関することなどについても掲載。全編はぜひ誌面でお読みください!

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