セルフケアの羅針盤 vol.3 柔軟性と関節可動域

根本国彰=文 町田早季=イラスト

前回でも触れたように、セルフケアといえば必ずといっていいほどついて回るストレッチ。このストレッチについて読者の方から「体の柔軟性はどこまで高めればいいものなのか、基準がわからない」というご意見をいただいた。

いろいろ調べてみたけれど、イマイチよくわからないから教えてほしい、と。つい最近もジムで同様のことを聞かれたので、結構気になっている方が多そうな分野であろう。

たしかに、クライミングに有効なストレッチのやり方や、ストレッチの意味を解説しているウェブサイトが増えているので、ネット検索すれば簡単に引っかかってくる。

けれど「クライミングの上達には柔軟性が必要」とか「クライミング前に静的ストレッチをするのは間違い」といった内容がほとんどで、オリンピックに出るような選手たちの開脚を引き合いに出されても、一般クライマーからしてみれば感心こそすれ、実践には結びつけづらい。

また、登る前には動的ストレッチのほうがいいってことだけど、ストレッチなんだから結局伸ばすんでしょ?と、この動的とか静的も、自分のやり方が合っているのか間違っているのか判断に迷うところのようだ。

そこで今回は「柔軟性」について掘り下げてみたい。柔軟性に関する体の要因は、骨格構造と軟部組織。骨格は先天的なもので、がんばっても変化しにくい器質なので、変化させることが可能なのは軟部組織(筋、腱、筋膜、靭帯、関節包など)となる。セルフケアのメインになるのはこの軟部組織である。

ここで一つ押さえておきたいこととして、柔軟性の反対、体が硬くなるのはなぜかということがある。人体をはじめ生命というのは実に効率的にできていて、必要のないことにエネルギーを割かないという特徴をもつ。

体を動かさない状況が続けば(運動不足)、骨格筋を維持するのはナンセンスと判断し栄養を送らなくなるので、筋肉は血流を失い、痩せて硬化する。

その応用のような話で、偏った動きを繰り返していると、よく動かす負荷のかかりやすい場所は重要部位と判断して余計に栄養を集中させるので、そこの骨を肥大させたり、よく使う筋肉を強化(緊張、肥大)したりすることで、動きに対応しようとする。そのことで体はバランスを失い、硬くなるスパイラルに陥ったりもする。

体というのは、なんとも思うようにならず、不都合にできているような気がしてくるが、そういうものなのだから致し方なく、われわれは理解しておくことで対処できる。バランスを失ってきた兆候はまず痛みとして表われるので、気がつきやすい。痛みは柔軟性の低下の初期段階と捉えていいだろう。

ストレッチを語る前に、まだまだ押さえておきたいことがある。関節の可動域だ。最近流行ったものに「誰でもできるベターッと開脚180度」みたいなのがあるが、あれって、臨床に携わっている者としてはどうなのかなと思う。

まねした人は、今はよくても、70歳、80歳と年を取ってきたころに歩行困難者が続出するのではと懸念している。実際、ああいったことの専門家であるバレエダンサーですら慢性腰痛を抱えている人が多いくらいなのだから。股関節の場合、医学的な正常可動域は外転45度で、両方合わせても90度までしか開かないことになっている。

そこに股関節の屈曲や外旋、さらには骨盤や腰椎の動きを組み合わせることで股関節が開いているように見せるわけだが、下手にやると靭帯が伸びきったり、軟骨などが減少して亜脱臼で不安定な関節になったりしてしまうので注意が必要だ。

骨と骨の接合部である関節は、単体で見ると可動域は思っているより小さいもので、体の前屈などは股関節の動きを入れないよう椅子に座るなどして骨盤を固定することで純粋に腰椎の動きが測れ、正常可動域は45度しかない。

クライミングで重要な指の関節可動域もそれぞれ、第一関節・DIP関節で80度、
第二関節・PIP関節で100度、

第三関節・MP関節(図5)で90度。

このように、見せかけの動きにだまされないよう正確に各関節の可動域を検査してみると、大多数の人のほとんどの関節は正常範囲に入っており、骨格構造的に問題となることはあまりないので、ご安心を。

というわけで、われわれがやるべきことは、軟部組織、特に筋肉の偏りによる硬直化を防ぐことになる。そのためには、一部の筋肉にばかり頼ることのないよう筋肉の稼働率を上げることや、偏った筋肉をそのまま放置せずにニュートラルな状態に戻すことが必要になってくる。

ここでようやく、動的ストレッチや静的ストレッチの登場だ。あ、その前にもう一つ確認しておかなくてはいけないことがあった。筋肉の性質についてである。

筋肉は収縮することに特化した組織なので、伸ばそう伸ばそうとするほど、ゴムのように縮む作用が強くなる。この作用は伸張反射といって、脊髄で起こる最も速い反射だ。


筋肉は伸び過ぎると断裂してしまうので、それを防ぐために、筋紡錘にある神経センサーが伸びの刺激を感知すると、反射して縮むようになっている。

一方で、神経というのはいつまでも反応しているわけではなく、刺激を受け続けると反応しなくなる性質がある。

ストレッチを受けたときの筋肉の状態変化を見ると、筋肉は時間として20秒からストレッチ効果が表われるが、それ以下の10秒とかだと効果は出ない。また、20秒ストレッチしたときと60秒ストレッチしたときとでは、効果の差はほとんどないことが医科学的にわかっている。

また、ストレッチは筋温が上がっているときでなければ効果が発揮されないし、逆に冷えている状態の筋肉を急激に伸ばそうとすると損傷の危険がある。

同様に、ストレッチで神経センサーが反応しなくなっている状態というのは、筋肉の反応が低下しているということで、運動には不向き。ケガのリスクも高まるといえる。

これらを踏まえて、クライミング前の動的ストレッチや静的ストレッチを考えてみると、以下のようになる。

クライミング前の動的ストレッチ

①運動を効率のいい状態で行なえるようにするために、少し汗をかくくらいまで体温を上げる。ジムで登るときであれば10〜15分程度の軽めのランニングが適している。岩場の場合はアプローチで汗をかいていれば充分。

夏季の発汗は体温を下げるための生理的な反応であって、体が温まっているわけではないので錯覚しないように(大ケガが多いのは意外と夏場!)。

②それぞれの関節を、一方向でなくいろいろな方向へ動かす。Jリーガーが試合前に行なうウォーミングアップをイメージするといいだろう。ラジオ体操の動きも当てはまる。これがまさに動的ストレッチである(ラジオ体操って当時の運動科学の粋を尽くして国民の健康のために考案されただけあって、非常に優れていますよ)。

③運動神経を活性化するために、やさしい課題を反復して登る(高校野球でいうところの、試合前のシートノックに相当)。

④懸垂やスクワットなど少し強めの負荷を筋肉に与える(筋肉への血流アップ、心拍数のアップ)。

①から④までを行なうと30分以上かかってしまい、登る時間が少なくなってもったいない気がするかもしれないが、ケガのリスクは軽減するしパフォーマンスもアップするので、メリットばかりといえる。

静的ストレッチ

筋肉の硬直を解消したり、偏りをニュートラルにすることが目的なので、対象となる筋肉を伸ばせるところまで伸ばして20秒はキープすることで効果が出る。

しかし20秒キープでも60秒キープでも効果に差はないのと、筋肉の性質としてゴムのように伸ばせば縮むので、20秒キープを何回か繰り返したほうが効率的だ。

クライミングの後であれば体は充分に温まっているのでいいが、動的ストレッチと同様、レスト日など体が冷えた状態でのストレッチは筋肉損傷のリスクが高いので、ランニングや入浴などで体が温まった状態で行なうようにしよう。体は放っておくと硬くなる性質があるため、柔軟性を保つために毎日の習慣にしてしまったほうが効率的だ。

また、伸張反射の関係から、伸ばす対象の筋肉を意識して伸ばそうとするとかえって収縮する作用が強くなってしまうので、伸ばす筋肉の拮抗筋(反対の作用をする筋肉)を縮める意識をもつと、対象の筋肉は伸びやすくなる。

わかりやすいところで、前屈を改善したい場合、前屈しきったところで足首を持ち、背筋力測定のように、引き上げる方向に力を込める。

5秒くらいキープした後に脱力すると、最初の前屈より曲がるようになっているはず。裏技みたいな方法だが、試してみると伸張反射が理解しやすくなると思う(引き上げる力を込めるときに息を止めてしまうと貧血になるので、息は吐きながら行なうように)。

静的ストレッチは筋紡錘の神経センサーが反応しない状態を作り、ケガのリスクが高まるので、クライミング前には行なわないことも忘れずに。

今回はここまで。冒頭の読者の方の質問に答える形でまとめておくと、「どこまで高めなくてはいけない」とかいう明確な基準は、柔軟性にはない。つまり「○級や○段を登るためにはここまでの柔軟性が必要」とかいう話ではないということだ。

しかし、クライミングが上達(より上のグレードを登れるようになること)するためには、ケガや故障がなくクライミングを続けられることが一番の近道。

エキスパートの人たちがすごいのは開脚ができることではなく、自分の体に対する意識、日々のメンテナンスの意識ではないだろうか。ストレッチを習慣にしておくと体の変化に気づきやすくなるので、ぜひ取り入れていただきたいと思う。

※当連載は「ROCK&SNOW」085の記事内容を一部編集し、再掲載しています

 

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