アルパインクライミングの来し方行く末(5)

★2007-2008

セロ・トーレ縦走 ローランド・ガリボッティ
マエストリの謎を解く

パタゴニア南氷陸の縁に位置するセロ・トーレ(3102m)は1950年代からなにかと話題になった岩峰だ。イタリア人チェザーレ・マエストリによる疑惑の初登頂(59年)や南東稜へのボルト連打(71年)などスキャンダルにまみれているが、岩峰そのものも、ひと筋縄ではいかない鎧をまとってクライマーを拒絶する。地形自体が険しい姿であることはもちろん、太平洋から氷陸を渡ってくる嵐が厄介なライムアイス(霜)を岩に貼り付け、スラブやクラックを埋め尽しているからだ。
セロ・トーレから北へ向かって3つの岩峰が連なっている。順にトーレ・エガー、プンタ・ヘロン、セロ・シュタンハルトだ。これらの頂を越えてセロ・トーレまでつなげる4座縦走は89/90年のシーズンにイタリアのエルマンノ・サルヴァテッラたちが試みて以来、長い間、パタゴニアクライマーたちの課題として残されてきた。当時は悪天候に対処する有効な手立てがまだ得られず、数日にわたって稜線上にとどまることに対する不安のほうが大きかった。サルヴァテッラは2年後にも縦走を企てて、プンタ・ヘロンまでで終わっている。それから10年以上、この縦走に関しては空白期間が流れた。あえて困難な縦走に乗り出さなくても、登られるべき壁や山稜は、この界隈にまだまだあったからだ。
沈黙を破ったのは、ドイツの誇るオールラウンドクライマー、トーマス・フーバーだった。前述したように、弟アレクサンダーと行なった数々の登攀で知られる彼は2004/05年のシーズンに、パートナーを替えながら執拗に縦走を狙った。まず、シュテファン・ジークリスト(スイス)と組んで、シュタンハルトのさらに北に位置するビフィーダのコルをスタートしてヘロンに達した。2回目はアンディ・シュナルフ(スイス)、ロック・ザロカル(スロベニア)とエガーまで進出。最後は再びシュナルフとエガーに立ったが、立ちはだかるセロ・トーレ北壁に挑む余力はなかった。このとき、まだこの北壁は登られていなかった。
ここは実に46年の昔、マエストリが登ったと主張するルートがあるはずの場所だ。かねてから疑問を抱いていて、それをAAJ誌上に発表したローランド・ガリボッティ(アルゼンチン)は05/06年、サルヴァテッラと組んで北壁を登った。予想どおり、マエストリが打ち込んだと述べた60本のボルトは見つからず、彼らが北壁取付(征服のコル)へのアプローチである東壁中段より上には行っていなかったことが判明した。
北壁が解決された以上、残るは縦走の完成だ。ガリボッティとサルヴァテッラは07/08年、それぞれ別のパートナーと挑んだ末、両者とも、北壁上部に引っかかっていた険悪な氷のマッシュルームに阻まれた。ガリボッティはコリン・ヘイリー(米)と組んで2カ月後の好天をつかみ、みごと初縦走を成し遂げた。このとき、フーバー兄弟も山麓までやってきていたのだが、天候回復を察知するのに後れを取ってしまった。

2008-2010

カランカ、カメット、ローガン
日本人クライマー活躍の足取り

Giri-Giri Boysとは、横山勝丘らがアラスカで登山申請するとき便宜的に名乗ったチーム名で、往時のイエティ同人や山学同志会のように特定のグループではない。ギリギリガールズのパロディにすぎないが、いつの間にか独り歩きして、いまや海外文献やWEBサイトにも堂々とGiri-Giri Boysと表記される。あたかも、日本人アルパインクライマーの代名詞になってしまったようだ。もっとも、これを見てギリギリと読む人は少なく、多くの場合「ジリジリってなんだ?」と訊かれるのが普通なのだが。
Giri-Giri Boysは突然現れたわけではない。日本人クライマーの活躍は、多少の起伏を描きながらも、ずっと続いてきたというのが本当だ。旧来のヒマラヤ高峰至上主義がアルピニズムの主題でなくなって久しいが、本来の立場に戻って、手ごたえのあるルート、登ったらおもしろい(だろう)ルートへ行くことに意識を集中するようになった。山野井泰史、中川博之、伊藤仰二、宮崎元彦(故人)、水津幹夫……まだまだたくさんの人々がアルパインクライミングを牽引してきたし、その流れを受け継ぐ人も増えてきた。
2008年は、そういった動きが一斉に花開いた年として記憶されるだろう。カランカ北壁(一村文隆、佐藤裕介、天野和明)、カメット南東壁(平出和也、谷口けい)、テンカンポチェ北東壁(岡田康、馬目弘仁)、デナリ継続登攀(横山、一村、佐藤)が登られ、カランカとカメットは日本人で初めてピオレドールを受賞した。また、山田達郎と井上佑人がカシンリッジの末端から全長をアルパインスタイルでほぼ登りきったところで帰らぬ人となったことも判明している。
09年には、カランカと同じトリオがスパンティークのゴールデンピラーを第3登し、ネムジュン西壁(田辺治、角谷道弘、花谷泰広、大木信介)、タウツェ北壁(一村、鳴海玄希)も成功した。カメットのペアはガウリシャンカール東壁を稜線直下まで登って引き返した。
そして今年もローガン南東壁(横山、岡田)、デナリダイヤモンドのフリー(天野、長門敬明、増本亮)、シアチャンラ初登頂(松島宏、佐藤信)が続いた。08年デナリの3人は、未踏の大物として長らく話題になっているラトックⅠ峰北稜に挑んで敗退を喫した。平出はドイツのダーフィット・ゲートラーと組んでアマ・ダブラム北東壁を登り北稜に抜け出したが、悪条件で下降できず、ヘリにピックアップされる結果となった。
このように、地域も所属も異なる人々がそれぞれの目標を追い求めるなかで、ときには競い、ときにはともにロープを結び合って登るのを見ると、日本の登攀界も成熟したと思う。クライミングコミュニティという言葉がしっくりくる雰囲気が、いつの間にか醸成されてきたように感じる。数年前から始まったクライマー集会の今後も含めて、将来を見守っていきたいものだ。


(左)041号 Giri-Giri Boysの名を世界にとどろかせるキッカケになったデナリ3部作「パチンコ・オン・デナリ」
(右)042号 ピオレドール・アジア、そして本場のピオレドールを受賞したカランカ北壁


042号 平出和也・谷口けいのペアによるカメット南東壁。ピオレドールを受賞し、谷口は女性で初の受賞者となった


043号 岡田康、馬目弘仁によるテンカンポチェ北東壁。その挑戦的なラインは高い評価を得た

045号 Giri-Giri Boys09年の課題はスパンティーク。目指していた新ルートは条件が悪く、転進してゴールデンピラーの第3登を果たす

047号 10年11月、鳴海玄希・一村文隆のペアはタウツェ北壁を初登攀

049号 10年5月、横山勝丘と岡田康はローガン南壁の初登攀に成功。ピオレドール・アジアを受賞する