ピオレドール史上最多5回受賞のポール・ラムズデンインタビュー:未踏の北壁に登り続けて


ポール・ラムズデン(左)とティム・ミラー(右)

インタビュー・文=Mathias Virilli、Thomas Vennin
協力=Montagne Magazine
翻訳=和田 薫(日本山岳会国際委員会委員長)

今年5回目のピオレドールを受賞したポール・ラムズデン。ヒマラヤで未踏の北壁に挑み続けている、今や伝説のクライマーといえるが、他の受賞者にはプロのガイドやクライマーが多い中、ラムズデンの職業はフリーランスの衛生管理士でメディアへの露出も少ない。SNSもやっていないので、自ら情報を発信することもない。そんなラムズデンに、彼自身の登山の考え方を聞いた。

まず最初に、今年(2023年)の秋にも(今回ピオレドールを共に受賞した)ティム・ミラーと、今度はSurma-Sarovar(6,564m、ネパール)に登ったんですよね?いかがでしたか。

私がこれまで行った中で、おそらく最も辺境の地の一つです。アプローチがとにかく長くて、9日間歩いてベースキャンプにたどり着いたのですが、それでもまだ山の麓ですらなくて。探査するには複雑な山域ですが、とてもおもしろかったです。大きな川を渡ったり、ゴルジュを探検したり……ある意味、旧来型の遠征とも言えるでしょう。とにかく疲弊しました。

今回で5回目のピオレドール受賞ですね。あなたの登山スタイルがピオレドールのチャーター(憲章)に合致しているということでしょうか。

そうですよ、ピオレドールは私のために発明されたようなものです(笑)。私だけではなくて、ブリティッシュスタイルですね。少人数で、探検的な要素があって、アルパインスタイルで……。まさにピオレドールが奨励しているもので、私たちが目指すものですよね。

登山を表彰することに否定的な人もいますし、実際にピオレドールの受賞を拒否したクライマーもいます。どう考えますか?

最初に私が受賞した2002年は、パリで授賞式が行われてまさに競争みたいでした。6チームの候補がいて、誰が勝つかは事前にわからなかった。テレビの取材も入って緊張感も漂っていました。こうした競争性の高い部分は嫌でしたね。

今のピオレドールは「このクライミングがベスト」なんてもう言わないで、「このクライミングが、いいスタイルでなされた」という言い方をしますよね。アルパインスタイルを奨励する形で、もはや競争ではなく、みんなで祝おうという側面が強い。それが人々をよりよい倫理観を持ってクライミングに向かわせるんだと思います。

そしてそれは実際に機能していると思います。私は過去に一度、ロシア人と登ったことがあるのですが、彼らはこれまでフィックスロープやアンカーをたくさん使った極地法で登っていました。で、私に言ったんです。「私たちはあなたみたいに登りたいんだよ」って。私は人々の登り方を変えたんだと信じています。一般の人たちにはなかなかわかってもらえないかもしれませんが。

ピオレドールを受賞したことで、何か変化はありましたか?

私はプロのクライマーではないし、スポンサーがついているわけでもないので、そう言った意味で何かメリットがあるわけではありません。でも、私が遠征に出かけている間にサポートしてくれている家族や周りの人に、ピオレドールを受賞したことで、私が何か意味があることをしているんだなと理解してもらうのに役立っています。

下降に、登攀ルートと異なるルートをとることを重視していますよね。下山も登攀スタイルの一部と考えていますか?

はい、私は縦走が好きなんです、旅みたいだから。同じルートを下降するのは美しくないと感じてしまいます。それに、私は懸垂下降が好きじゃないんですよ。いいルートを見つけて下りていく、その方が冒険が続いて刺激的でしょう?

これまで主に6000m級の山に多く登っていらっしゃいますね。7,000m峰は一度、ニック・ブロックと2016年に登った チベットのニャンチェンタンラ(7,046m、チベット)のみです。なぜでしょう?

高度が上がっていくと、喜びが消えていくんです。高所での技術的な難度の高いクライミングは、とても難しいものです。ですから私は低い標高にとどまっているのです。大きな山は素晴らしいですし心惹かれますが、8,000m峰を登る人は単に雪の斜面を歩いているだけに思えるときもあります。私は歩くより登りたいんです。

それから、より高い山を登るには、より時間がかかるのも事実ですよね。私は長く家から離れると家族が恋しくなるし、これまで4週間以上家を空けたことはありません。エベレストに登るには3ヶ月かかるでしょう?

これまで、年上のミック・ファウラーとたくさん登ってきましたね。今は年下のティム(・ミラー)と登っています。なぜでしょう? 何か変化はありましたか。

はい、ミックは私より14歳年上です。 彼は年をとり、私はまだ、というわけで私たちのコンビは自然と終わりました。私はプロのクライマーでもガイドでもないですから、有望なクライマーと組む機会は限られています。私がミックと登るのをやめると、信頼できる新たなパートナーを見つけることは簡単ではありませんでした。

一方で、私も歳を重ねる中で、私の経験や技術を引き継ぐ必要に気づき、メンターになろうと決めたのです。そんな時、BMC(英国登山評議会)が私に若い世代の面倒を見るように頼んできたのです。危険だし、死ぬかもしれないような危険な遠征を若い人に勧めるのは難しいことでもありますが、私は英国の熱心な若いクライマーにたくさん出会いました。ティムはその中の一人で、当時はまだガイドではありませんでしたが、とても有望なクライマーでした。

ヒマラヤの登攀対象はどのように選ぶのですか?

最初に考えるのは安全についてです。山で死にたくないですから、登攀対象を選ぶときはとても慎重になります。セラックや雪の斜面があるルートは避けます。

次は、美的観点からです。美しいラインで、かつ技術的にも興味が持てるものでなくてはならない。私にとっては、未踏の北壁で、とてもテクニカルなルートがベストです。

それから、山にとっていい登山であることも必要です。未登峰に登るなら、敬意を示さなければ。一番簡単なルートで背後からこっそり登るようなやり方は、ベストではないでしょう。

あなたはSNSをやりませんね。他のクライマーは盛んにやっていますが、どうお考えですか?

私には必要ないので、批判することは簡単です。私は自分のクライミングでお金を稼ぐ必要はないですし、そのやり方が気に入っています。私はSNSを全く使いませんし、フェイスブックもやっていません。私があえて選んだことです。

私が2002年に四姑娘山(Siguniang、6,250m、中国)の北西壁登攀で最初のピオレドールを受賞したときに、プロ・クライマーになれたかもしれませんが、私はそうなりたくなかった。人生をクライミングに捧げなくてはならなくなりますから。私は自分の仕事をもち、結婚して家庭を持つことを選びました。クライミングはとても大切ですが、私には他に必要なものがあります。今日の世界では、インスタで自分を売るようなコンテンツを作っている人もいますが、私は意味がなく、空虚だなと感じます。

私はそうする必要がなくてよかったと思います。

登山は危険だとおっしゃいました。これまでにやめようと思ったことはありませんか?

若いとき、私の周りで多くのクライマーが亡くなりました。私の最初のクライミングパートナーは、私が17歳の時に亡くなったんです。若い時は体力もありますが、彼の死を目の当たりにして、私がやっているクライミングというものがとても真剣で、正しく用心して取り組まなければいけないと思わされました。ですから私は自分の登攀対象を選ぶときにとても慎重になるんです。

私はクライミングを長く続けたいです。若いときはソロ登攀にも挑戦しましたが、長く続かないと実感しました。先に話したミック・ファウラーとの2002年の四姑娘山登攀で、ミックが下山中に言ったんです。「僕たちのこんなクレージーな登山は長く続けられないだろうね」って。登山を続けたいなら、諦めることや代替案を持つことを学ばなければなりません。私はピオレドールを5回受賞しているから、私がちょっとクレージーなやつと思われているかもしれませんが、実際はとても慎重なんですよ。

私はクライミングをやめることはないでしょうけど、年をとってきていることも感じています。だから、遠征にでかけると前よりももっともっと疲労を感じるようになった。回復するのも時間がかかります。私は今54歳、他の人と同じなんです。

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